新潟
平成3年、水を得た亀田郷の農業近代化。
「わが国は、昔から瑞穂の国と呼ばれていたように、米作を中心とする農業が、国民経済生活の大きな基盤であった」――昭和43年に寄稿した雑誌の中で、創業者松下幸之助は農業を国の大本ととらえ、今後も重要性は変わらないであろうと語っています。そして近代化と経営規模の適正化を進める新しい日本の農業の姿を提案していました。
農業の生産性向上や経営の合理化は、ここ新潟市亀田郷でも課題でした。亀田郷は四方を信濃川や阿賀野川、小阿賀野川、日本海に囲まれ、かつて泥田に覆われて『地図にない湖』と形容された湿地帯。洪水に悩まされていましたが、長年の利水・治水、土地基盤整備によって良質の乾田に一変し、有数の穀倉地帯になったのです。以後、亀田郷は新潟市の都市化にも対応し近代的農業をめざしてきました。
ここに、私たちの技術がひと役。およそ42.3平方キロメートル、東京ドーム約906個分という広大な農地の農業用水を集中管理する『水管理監視制御システム』です。これは揚水機場や排水機場、調整ゲート、水位観測局などに設置されたテレメータにより最適な用水・排水を中央管理所で集中監視。水門の開閉も遠隔操作でき、水害の早期防止を図ることが可能になりました。平成3年に納入されたこのシステム、実は国に認定された『農業水利施設総合管理事業』のモデル1号。成果は、広く全国各地の農業の近代化につながっています。
大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは新潟のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。