山梨
昭和29年、『観光立国』を世に問うて。
「わが国は今、観光に基礎を置くべき絶好の時期に来ていると思う。今までわが国が、自然の美景を充分に活用しなかったのは惜しまれるが、今日は何もかも条件が揃っているのだ。まして、この不滅の資源は、日本人だけで独占してよい性質のものではない。これはやはり、相互扶助の理念に立って、ひろく世界の人々に開放されるべきものだろう」――『文藝春秋』の昭和29年5月号にて、創業者松下幸之助は『観光立国』について持論を披露しました。富士山も引き合いにした、その提起の一部をご紹介しましょう。
「富士山や瀬戸内海はいくら見ても減らない。運賃も要らなけりゃ、荷造箱も要らない」
「日本人の視野が国際的にひろくなるということである。観光客の中には、学者もあれば実業家もある。技師もいれば芸術家もいる。これらの人々に接触するだけでも、お互いに啓蒙もされ、刺戟もされる」
「観光立国によって全土が美化され、文化施設が完備されたならば、その文化性も高まり、中立性も高まって、奈良が残され、京都が残されたように、諸外国も日本を、平和の楽土としてこれを盛り立ててゆくことだろう」
「観光省を新設し、観光大臣を任命して、この大臣を総理、副総理に次ぐ重要ポストに置いたらいい」などです。この中で松下幸之助は「私が観光立国を声を大にして叫ぶ」という表現を使っており、思い入れはかなりのもの。これに端を発し、日本の観光振興に大きく貢献したことにより平成22年『第2回観光庁長官表彰』を受けています。
日本人にとって古くから信仰・崇拝の対象でもあった神の山『富士山』の名を、松下幸之助は観光資源としての活用を説く他にもしばしば口にしています。
サラリーマン時代、昇格の折は「富士山にでも登ったような気持で、自分ながら肩で風を切り颯爽たるものであったろう」と回顧。また経営の場においても「富士山の絶頂を極めるということが、お互いの目的としましても、極める道は各自の健脚に応じて道を求めたらいい。しかし、頂上に登るという速さは、やはりなるべく速いほうがいい」と社員に発破をかけ、さらに「富士山は西からでも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東がけわしければ西から登ればよい。道はいくつもある」と説いています。
火山である富士山は静の中に動があり、美しさと共に雄々しさがあり、崇高・荘厳・霊妙にもかかわらず親しみ深い、多極性を調和させた存在感で多くの人々を魅了しています。松下幸之助もそのひとりだったのではないでしょうか。
大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは山梨のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。