静岡

昭和39年7月、感涙で幕を閉じた熱海会談。

「長い間、ご愛顧を被ってまいりました松下電器が知らず識らず・・・みなさんのご好意を忘れてしまったように私は思うんであります」――時に言葉を詰まらせながら語る創業者松下幸之助の頬には、一筋の涙がありました。会場は静寂に包まれ、もらい泣き。しだいに激励の声が広がっていきました。

高度経済成長の歪みが各所で放置され、不況が追い打ちをかけた昭和30年代後半。松下電器系列の販売会社、代理店も市況の悪化で赤字経営に落ち込むところが激増し、170社の内で収益をあげているのは20数社だけという状態になりました。この深刻な事態に対処するため、松下幸之助は昭和39年7月9日から3日間、全国販売会社代理店社長懇談会を熱海ニューフジヤホテルで開催。いまも語り継がれる『熱海会談』です。吐露されるのは要望や経営が苦しいという切実な話ばかり。一言も聞きもらすまいと松下幸之助は、丸2日間壇上に立って耳を傾け、時には会場の笑いを誘いながら、しかし真剣に要望を引き出そうと努めました。

そして最終日、発せられたのが冒頭の言葉です。さらに松下幸之助は「取り引きその他一切の点に根本的に改善をいたしまして、一つはみなさんの経営の安泰のために、一つは業界の安定のためにほんとうに努力をいたさなならんという感じをいたしました」。涙まじりの声の奥、『共存共栄』を経営精神と説きつつそれを忘れていた悔しさ、現状打破への決意をかみしめていました。会談は団結の内に閉幕。早々、松下幸之助は約束を具体化するため、不況克服に全力を傾注しました。そして、『一地域一販社制』『事業部・販社間の直接取引』『新月販制度』と大胆な改革構想を打ち出し実施。新たな制度により、苦しかった販売会社・代理店の経営も急速に回復させることができたのです。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは静岡のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。