福島

平成26年、福島に根づいた新たな『共存共栄』の種。

「現在の日本の実状においては、一時的には多少利益が少なくなっても、あえて過疎に悩む地方に貢献することが大切なのである」――昭和43年12月、創業者松下幸之助は、人口流出に歯止めをかけると共に、沈滞した地方経済の活性化に貢献するため過疎地帯への工場進出を表明。以降、各地で工場が建設され、昭和45年にはここ福島でも操業がはじまりました。

ラジオ生産からスタートした『福島工場』ですが、ポータブルオーディオからデジタルカメラへと時代の流れに応えるモノづくりを実践してきました。そして平成23年、東日本大震災。私たちの福島工場も大きな被害を受けましが、被災地復興へのお役立ちをめざして平成25年、新たな挑戦をはじめました。『植物工場』の取り組みです。培ってきた照明・空調・ネットワーク、省エネの技術と、工場での生産性向上や品質安定化、生産設備開発のスキルをフル活用。フリルレタスや小松菜などの安定栽培を実現し、すでに県内のスーパーで販売しています。さらに露地物では難しかった、味や食感のコントロール、腎臓病患者用の低カリウムレタスに代表される栄養素のコントロールなど、さまざまなチャレンジを進めています。

他にも福島には、私たちの拠点がたくさんあります。創業以来44年、地域と共に歩み、車社会の安全・安心に貢献する車載カメラの『白河工場』。春には構内の桜並木の通り抜けで地域振興に貢献する電子回路基板材料の『郡山工場』。高品質なモノづくり技術で地域の産業を牽引する、光伝送部品の『本宮工場』。社員一丸で環境革新企業をめざすアモルファス太陽電池の『喜多方工場』など。営業所も含めるともの拠点が、福島に根ざして稼働しているのです。松下幸之助はこう語っています。「あらゆる面で地域社会と調和し、共存共栄をはかっていくところに企業の大きな社会的責任があると思うのです」。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは、福島のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。