茨城

昭和60年、未来がつくばにやってきた。

「海外から47カ国、国内から28の団体や企業が参加して、『人間・居住、環境と科学技術』をテーマに、筑波 研究学園都市での科学万国博覧会が華やかに幕を開けました。大阪万国博覧会が昭和45年のことでしたから、あれからもう15年もたったのかといまさらながら時のたつ速さを痛感するのですが、その間、日本の科学技術の進歩は著しいものがありました。昭和48年、日本をはじめ世界各国を襲った石油ショックも、わが国は世界の中でも一番影響を受けたはずなのに、かえって、技術を急速に進歩させる結果になりました。それは、わが国の産業界が、非常な危機意識をもって、省エネルギーというかけ声のもと、生き抜くために懸命に技術の見直しや開発に取り組んだためでした」

昭和60年3月17日に開幕した科学万博―つくば’85(国際科学技術博覧会)に、創業者松下幸之助は科学技術の進歩をふり返りながらそう語りました。安定成長の余韻の中、科学万博つくばは盛況となり2000万人超の来場者を記録。大阪万博と同様に私たちも『松下館』を出展し、『日本人と日本文化の源流を探る』をテーマに日本の古代文化を最先端の映像・音響 技術を駆使して紹介しました。科学のさらなる進歩に期待を込め、松下幸之助は先に続き、次のように言及して未来への課題をあげています。

「今日の私たちは、科学技術から『君たち人間は、えらそうなことをいっているが、俺たちを使いこなせないではないか。口惜しかったら使いこなしてみたまえ』という挑戦を受けているようなものだと思います。この挑戦を受けて立ち、人間としての正しい自己認識、人間の尊厳の自覚というものにお互いが目覚めてこそ、私たちは科学技術の進歩による成果を十分に生かしたよりよい社会を築いていくことができるのではないでしょうか。たとえていえば、科学技術が生み出した包丁を、他人を傷つける道具としてではなく、おいしい料理をつくる道具として使いこなせるかどうか、それが世紀に向けて、私たちに課せられた課題ではないか。科学万博開催を喜びつつ、一方でこのようなことを考えているのです」

科学万博―つくば’85は『つくば』の名を世界に広め、科学の街というアイデンティティの礎を構築。私たちの技術革新を飛躍させるきっかけにもなりました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは、茨城のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。