大阪

昭和39年、大阪駅前に交通安全への架け橋を。

「最近の大阪市内の交通マヒはまことに困ったものであるが、大阪駅前は特に交通もはげしく、歩行者も多いため大変混雑しており、あそこに陸橋があれば便利なのだが」――そんな創業者松下幸之助の交通安全への切なる願いが、昭和39年カタチになりました。

経済の急速な発展の中、クルマ社会へと猛スピードで駆けていった昭和30年代の日本。人口が集中する都市では交通事故がますます深刻になっていました。ここ大阪でも屈指の交通の難所である大阪駅前東交差点の交通混雑を緩和するため架橋の計画が大阪府交通対策委員会において検討されていましたが、資金面で行きづまっていました。そんな苦境を知った松下幸之助は都市問題の解決には官民一体となった取り組みが必要と考えて、昭和39年2月、陸橋づくりの協力を会社として申し出たのです。

6月に着工された陸橋は4カ月後、待望の完成へ。10月24日、大阪市長と松下幸之助のテープカットで、渡り初め式が挙行されました。この陸橋は、大阪駅前広場と阪急、阪神両百貨店をL字型に結ぶ、当時としては日本最大のもの。交通安全への架け橋として、誕生以来半世紀以上にわたってみなさまにご活用いただいている一方、陸橋の真下を走る道路の渋滞緩和にもお役に立っています。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは大阪のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。