兵庫

昭和35年、行く春に思いを馳せた西宮の住まい。

「私の住んでいる西宮の家の付近も、古くから桜の名所になっている」――そんな一文が書かれた昭和35年の社内報は、創業者松下幸之助の仕事では見せない一面が描かれていました。

「こんな名所のすぐそばに住んでいるのだから、私はいつでも花が見られるというものだが、実は、まだゆっくりと見たことがない」。理由は日々の仕事に追われてか、考えることが多く、落ち着かない気分でいるうちに、花が散ってしまうから。
「こんなことではいけない、こんな心のゆとりのないことではいけない、花の季節ともなれば、友の一人でもいいから招いて、花を楽しみ、春を喜ぶようにしたいと思っているのだが、ことしこそはと考えているうちに、まことに呆気なく花は散ってしまうのである」。

当時65歳でありながら、経営者として精力的に活動していた松下幸之助は、このままならない嘆きについて、原因は自分自身の心にあるとし、いつになれば心の迷いからぬけ切れるかと述懐しています。仕事の時の顔をしばし忘れ、一人の人間としての時間を過ごした西宮は、生涯もっとも愛着のあった地のひとつでもありました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは兵庫のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。