和歌山

昭和55年、中学校の校歌になった和歌山への思い。

「住まいが湊だったので、近いからよくエビをすくいに行ったんですよ。とにかく紀ノ川の水は非常にきれいでした」――創業者松下幸之助は、昭和53年、当時の和歌山県知事との対談の中で、子どもの頃に過ごした和歌山の思い出を語りました。

明治27年、松下幸之助は、和歌山市郊外にある和佐村(現・和歌山市禰宜)で生まれ、のちに和歌山市の市街地でくらしました。和歌山城や紀ノ川では、よく遊んだといいます。しかしその日々は長くはありませんでした。尋常小学校4年生の11月に学校をやめ、大阪へ奉公に行くことになったのです。紀ノ川駅まで見送りに来た母との別れを、後年にいたるまで「そのときの情景は、いまでもはっきりと覚えている」と語っています。この和歌山の地は、松下幸之助にとって、常にかけがえのない場所でありました。

そして昭和54年、出身地の中学校からある依頼を受けました。2つの中学校が統合し、再出発するのにあたり、校歌の作詞を依頼されたのです。「初めてのことでとまどいました。しかし出身地の学校からのご依頼なので、周囲の人に手伝ってもらってなんとかまとめました」。翌年、いつの日も心の中にあった故郷への思いは、ひとつの歌となりました。そしていまでも、若者たちに歌い継がれています。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは和歌山のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。