徳島

昭和49年、美しい徳島の空を見守って。

「戦後の急速な経済成長、産業の振興にともなって、その一方で企業の活動がいろいろなかたちで環境を汚染あるいは破壊したり、その地域の人びとの健康や、はなはだしい場合には生命にまで損害を及ぼすような公害を発生させてきました」――高度経済成長が引き起こした公害に、創業者松下幸之助は、著書や講演などで対策の急務を訴え続けました。

昭和30年以降、大気汚染や水質汚濁、土壌汚染など、公害は全国規模で顕在化。特に水俣病や四日市ぜんそくといった四大公害病の発生によって深刻度は増大し、昭和42年『公害対策基本法』が施行され、全国規模で対策が動き出しました。徳島でも公害試験などの業務が激増。昭和49年、衛生研究所から『公害センター』が独立して稼働をはじめました。

ここに、私たちの技術がひと役。かけがえのない自然に恵まれた徳島の環境を見守る『大気汚染監視システム』です。これは臨海沿岸部に集中する工場や学校、公民館に設置した測定機で大気汚染物質を測定。テレメータで公害センターに測定結果を集約し、対策に役立てるものです。「公害の防除、絶滅は今日における企業の大きな社会的責任」。そんな松下幸之助の思いのもと、環境の検査・浄化技術の開発に取り組んできた成果が生んだノウハウでした。

時代と共に『公害センター』は、『保健製薬環境センター』へ改称。監視システムも役割を拡大し変わりましたが、環境を見守る使命は変わらず息づいています。大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは、徳島のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。