昭和が終わりを告げた春、風邪(かぜ)をひいた幸之助はそのまま気管支肺炎(きかんしはいえん)を起こし、94年5ヶ月にわたる生涯(しょうがい)を閉(と)じた。 平成元年4月27日午前10時6分。 波乱(はらん)に富(と)んだ人生とは対照的な、安らかな顔で迎(むか)えた最期であった。  国内外のマスコミが大きく報(ほう)じ、訃報(ふほう)(※1)は世界を駆(か)け巡(めぐ)った。 密葬(みっそう)(※2)に1万2千人、松下グルーブ各社の合同葬には約2万人が参列。 アメリカ合衆国大統領(がっしゅうこくだいとうりょう)をはじめ、世界中から多数の弔電(ちょうでん)(※3)が寄(よ)せられた。

まだ電灯さえ普及(ふきゅう)の途(と)にあった明治の終わりに電気の世界に身を投じ、マルチメディア時代を目前にした昭和の終わりに幕(まく)を引いた幸之助の生涯は、日本の電化時代を象徴(しょうちょう)する立志伝であった。 世界の繁栄(はんえい)という大きな願いを、あくまで追い求める高邁(こうまい)(※4)な精神(せいしん)と同時に、常(つね)に世間の人々(ひとびと)と同じ立場に立つ庶民性(しょみんせい)を併(あわ)せ持つ不思議な魅力(みりょく)。 そして、火鉢屋(ひばちや)の丁稚(でっち)を振(ふ)り出しに、幾多(いくた)の困難(こんなん)を強い信念で乗り越(こ)え、自らの「道」を切り拓(ひら)き続けた生き方は、今もなお、多くの人の心に生き続けている。

心を定め
希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる

 
※1 訃報(ふほう):人が死んだことの知らせ
※2 密葬(みっそう):うちうちでする葬式(そうしき)のこと
※3 弔電(ちょうでん):死者をくやむ電報(でんぽう)
※4 高邁(こうまい):気高くすぐれていること