かつて知人から「商売人が政治(せいじ)に手を出したらあかん」と戒(いまし)め(※1)られ、自分自身(じぶんじしん)でも積極的な活動は控(ひか)えてきた幸之助だが相談役に退(しりぞ)いて経営(けいえい)に一線を画して以来、日に日に、日本の将来(しょうらい)を案じる気持ちが強くなっていくのを抑(おさ)えることはできなかった。
世界の繁栄(はんえい)の中心は時代と共に移(うつ)り変わってきた。来るべき21世紀はアジアが世界の繁栄をリードする時代になるだろう。 そのとき、日本は中心的役割(ちゅうしんてきやくわり)を果たすべき立場にあるのではないか----。 こう考えると、政治も経済(けいざい)も社会も、新しい世紀にふさわしい新しい国に変わる必要があると、幸之助は切実に感じていた。 案じるあまり、頭が冴(さ)えてきて一睡(いっすい)もできない日もあるほどだった。
「日本が輝(かがや)かしい21世紀を迎(むか)えるために、やりたいことがたくさんあるんや」
80歳の東奔西走 憂国(ゆうこく)(※2)の情(じょう)から、幸之助は『崩(くず)れゆく日本をどう救うか』『新国土創成論(しんこくどそうせいろん)』『無税国家論(むぜいこっかろん)』などを発表し、「松下政経塾(まつしたせいけいじゅく)」を設立(せつりつ)した。 常(つね)に世界の中の日本という観点に立つ幸之助は、一方で積極的に世界に働きかけた。 国際科学技術財団(こくさいかがくぎじゅつざいだん)をつくり、日本国際賞(にほんこくさいしょう)を設置(せっち)。大きな視野(しや)に立って中国の近代化に協力しなければならないと、中国訪問(ちゅうごくほうもん)も果たした。
21世紀に日本が果たすべき役割を大きなスケールで描(えが)き、世に問い、実行に東奔西走する幸之助は80歳を越(こ)えてなお、果てしない未来を見据(みす)えていた。
昭和62年、92歳の幸之助は勲一等旭日桐花大綬章(くんいっとうきょくじつとうかだいじゅしょう)を受章した。 民間人として異例(いれい)の受章は、社会への役立ちを第一に考えて活動してきた証(あか)しであった。
※1 戒(いまし)め:あやまちがないように前もってあたえる注意
※2 憂国(ゆうこく):国のことを心配すること