幸之助が異例(いれい)の若(わか)さで工事担当者(こうじたんとうしゃ)を経(へ)て検査員に昇進(しょうしん)したのは、大正6年のことである。検査員の主な仕事は、現場(げんば)の見回り検査。一日の仕事がほんの数時間でできた。仕事が楽で、しかも尊敬(そんけい)されるとあって、喜ぶ検査員が多い中、22歳(さい)の幸之助は充実感(じゅうじつかん)を味わえない生活に、ひとりゆううつを感じていた。
ゆううつのタネはほかにもあった。病気である。生まれつきの体の弱さを気力で支(ささ)えてきた 幸之助にとって、張(は)りのない生活はかえって災(わざわ)いとなった。医者の診断(しんだん)は「肺尖(はいせん)カタル」。ひと月ばかり療養(りょうよう)しろと勧(すす)められたが、日給暮(ぐ)らしの勤(つと)め人では、休めばその日から生活に行き詰(づ)まる。そんな日々(ひび)、思い出されるのは仕事の合間に自分で考えた「改良ソケット」だった。
「前から、いちいちねじでとめなアカンのは不便やと思っとたんです」
「ふーん……」
「どうですやろ」
「うむ……あかんな、こらあかん」
「えっ!」
「工夫せなあかんとこがありすぎる。使い物にならんな」
まだ、工事担当者だったころ、高下駄(たかげた)の歯(※1)が抜(ぬ)けて困(こま)っていたおばあさんを助けてひらめいた改良ソケット。しかし、自信満々(じしんまんまん)で試作品を上司にみせたところ、答えは意外なことに完璧(かんぺき)な否定(ひてい)であった。幸之助はがく然とした。「絶対(ぜったい)に、この改良ソケットを作れば売れる……」―。あまりの悔(くや)しさに涙(なみだ)を流した幸之助の熱い思いは、しだいに胸(むね)のうちで確信(かくしん)となり、やがて、自分で作ってみたいという気持ちが心を離(はな)れなくなっていた。
※1 高下駄(たかげた)の歯(は):高い脚(あし)が付いた下駄(げた)の脚の部分