大正6年6月、幸之助は独立(どくりつ)を決心した。手元資金(てもとしきん)わずかに95円余(あま)り。生活していた4畳半(じょうはん)の2畳の借家に工場スペースを作るのも、みずからの手で行った。妻(つま)と妻の実弟、それに二人の知人を加えて始めた事業は、ソケットの胴(どう)に使う練物(※1)の製法(せいほう)も知らないというスタートだった。やがて何とか完成した改良ソケットだが、売れ行きは散々(さんざん)。うまくいかないことがはっきりしてきたころ、二人の知人は幸之助のもとを去っていった。しかし、幸之助は、まだまだ、あきらめる気にならなかった。きっと成功する。不思議とそんな自信があった。そして、そんな幸之助を支(ささ)えたのは、まだ若(わか)い、妻の「むめの」であった。

「さあ、そろそろ、風呂でも行こうか」
「あなた、これ、うまく動かんみたいなんやけど……」
「ん、どれ、かしてみ。おかしいな……。いっぺんバラしてみようか」

たった2銭(せん)の風呂代にもことかく日もあった。むめのはそんな生活の苦労を幸之助に感じさせまいと、風呂屋が閉(し)まる時間まで、なにかと話を持ち出しては気持ちをそらし、一方で行水(※2)の用意をしたという。むめのは指輪も替(か)えの着物も、幸之助に黙(だま)って、あらかた質屋(しちや)へ入れてしまった。それでも作った製品(せいひん)は売れないまま、ひと月余りが過(す)ぎ去った。

※1 練物(ねりもの):ねり固められたもの
※2 行水(ぎょうずい):たらいに湯や水を入れ、その中でからだのあせを洗(あら)い流すこと