さっそく検分(けんぶん)(※1)に行き、すっかり気に入った幸之助は門真の土地を買収(ばいしゅう)した。ところが、土地を手にしたにもかかわらず、あることが気になって本格的(ほんかくてき)な移転(いてん)を決めかねていた。方角のことである。
「松下はん、門真ゆうたら大阪(おおさか)の鬼門(※2)やで。
別のところで考えはったらどうです」
「鬼門……だっか」
北東の方角は「鬼門」といって縁起(えんぎ)がよくないといわれる。門真は大阪から見て北東にある。幸之助はそれが気になっていたのである。迷信(めいしん)と思いつつなかなか踏(ふ)ん切りがつかない。ある日、悩(なや)んでいるうちに日本地図(にほんちず)が頭に浮(う)かび、はたと気づいた。
「まてよ、鬼門ゆうたら、日本じゅうが鬼門やないか」
日本の国は南西から北東に伸(の)びている。ならば日本中が鬼門だらけである。「よし、ほんなら気にせんとこやないか」----。幸之助の気持ちは晴れた。それどころか、鬼門で大成功して迷信を打ち破(やぶ)ってやろうという気持ちが沸(わ)き上がるのを感じていた。
昭和7年も暮(く)れのころ、幸之助は門真への大投資(だいとうし)を決意した。世間からは「放漫(ほうまん)(※3)経営(けいえい)だ」との声も聞こえたが、いったん決意した幸之助は意に介(かい)さなかった。
※1 検分(けんぶん):見たり調べたりすること
※2 鬼門(きもん):よくないことが起こりそうな方角
※3 放漫(ほうまん):気ままでしまりのないこと