昭和8年7月、ついに、門真に本店工場(ほんてんこうじょう)が完成した。念願の店員養成所(てんいんようせいじょ)も同じ敷地内(しきちない)につくられ、近日開校(きんじつかいこう)の見通しであった。広大な敷地に立ち並(なら)んだ立派(りっぱ)な工場群(こうじょうぐん)に所員たちは大喜びであったが、移転を期して朝会の壇上(だんじょう)に立った幸之助の言葉は意外なものだった。

「松下電器は、今躍進と崩壊(ほうかい)の分岐点(ぶんきてん)(※1)に立っている。本所将来(ほんじょしょうらい)の発展(はってん)、衰亡(すいぼう)(※2)は、諸君(しょくん)の双肩(そうけん)(※3)にあることを考え、一事一物(いちじいちもつ)にも "最慎(さいしん)"の注意を怠(おこた)らないよう、この際(さい)特に一言しておく」

華(はな)やかさに幻惑(げんわく)(※4)され、浮(うわ)ついた気持ちから経費(けいひ)がかさみ、生産原価(せいさんげんか)も上がる----。社内に安易感(あんいかん)が生まれ、放漫(ほうまん)の気風が生じて衰亡への道につながる危険(きけん)を幸之助は見抜(みぬ)いていた。さし当たっての緊急方針(きんきゅうほうしん)として、半年間の徹底的(てっていてき)な経費節減(けいひせつげん)の断行(だんこう)を命じた幸之助の気持ちは所員一人ひとりに伝わり、皆(みな)が気を引き締(し)めた。

松下電器製作所(まつしたでんきせいさくしょ)は、さらなる躍進に見合った器と組織(そしき)と人、そして気風を門真の地で手にした。

※1 分岐点(ぶんきてん):物事の分かれ目
※2 衰亡(すいぼう):おとろえてほろびること
※3 双肩(そうけん):重い責任(せきにん)や義務(ぎむ)を負うもののたとえ
※4 幻惑(げんわく):目をくらまし、まよわすこと