製品(せいひん)の公定価格(こうていかかく)(※1)が低く抑(おさ)えられている一方で、驚異的(きょういてき)なインフレ(※2)に見舞(みま)われ、松下電器(まつしたでんき)は製品を作れば作るほど赤字が増(ふ)える状態(じょうたい)にあった。幸之助にとって自分の会社が赤字を出し続けることは耐(た)え難(がた)い苦痛(くつう)であった。「正しく法を守り、誠意(せいい)を尽(つ)くして働いているものがみんな苦しみ、悪徳(あくとく)(※3)が栄えている」と、幸之助は戦後の混乱(こんらん)した社会を憂(うれ)えた。

「どうしたら人間の苦しみをなくし、正しい、平和な社会が築(きず)けるだろうか」

考えた末、幸之助が出した結論(けつろん)は「繁栄(はんえい)こそが幸福で平和な生活をもたらすものである。今の日本ではその繁栄をもたらす理念が認識(にんしき)されていないから平和な社会が築けないのだ」という考えであった。

「繁栄によって平和と幸福を(Peace and Happiness through Prosperity = PHP)」。この考えを実現(じつげん)しなければ国家の安定もなく、ましてや会社の安定もない。昭和21年11月3日、幸之助はPHPの実現方法(じつげんほうほう)を研究し、その考えを世間に広める機関として「PHP研究所」を設立(せつりつ)した。幸之助は一産業人としての立場を超(こ)える決心をしたのである。事業活動(じぎょうかつどう)が制限(せいげん)されていたことも手伝って、勉強会や講演会(こうえんかい)の開催(かいさい)、機関誌(きかんし)「PHP」の創刊(そうかん)、そして街頭でのビラ配りと、幸之助はPHP運動に精力(せいりょく)を傾(かたむ)けた。人生最大の苦難(くなん)の時期に、思想家(※4)、そして著述家(ちょじゅつか)(※5)としての幸之助が誕生(たんじょう)したのである。

※1 公定価格(こうていかかく):公に定められたねだん
※2 インフレ:物のねだんが続けて上がり、お金のねうちが下がっていくこと
※3 悪徳(あくとく):人の道から外れた悪いおこない
※4 思想家(しそうか):あるものごとに対して、まとまった考えを持っている人
※5 著述家(ちょじゅつか):書物を書きあらわすことを仕事にする人