昭和27年10月、幸之助はオランダにいた。アメリカ視察(しさつ)を敢行(かんこう)(※1)してから2年足らず。すでに三度目の海外旅行(かいがいりょこう)であった。すぐに世界中に電化の時代が来る、そのとき世界を相手にするには、飛躍的(ひやくてき)な技術(ぎじゅつ)の向上と合理化が不可欠(ふかけつ)だ----。初渡米(はつとべい)以来、幸之助には並々(なみなみ)ならぬ危機感(ききかん)があった。常(つね)に、自分に足りないことは素直(すなお)に教えを請(こ)うてきた幸之助である。今は世界に教えを請うときだ。しかもことは一刻(いっこく)を争うと幸之助は感じていた。

世界への「調印」   幸之助が選んだ "先生" はオランダのフィリップス社。しかし、松下にとって、これは大きな賭(か)けでもあった。提携(ていけい)(※2)の条件(じょうけん)として、自社の資本金(しほんきん)(※3)よりも多い資本金を持つ子会社を設立(せつりつ)することになったからである。本当にこれでいいのか----。調印を目前にして幸之助は最後の自問自答(じもんじとう)をくり返していた。ペンを持つ手が震(ふる)えた。幸之助は、迷(まよ)いが晴れない自分を、しかり続けた。

「ええい、ここまで来て迷うやつがあるか」

迷いに迷った幸之助の決断(けつだん)の是非(ぜひ)(※4)は、数年後に明らかになる。この提携で誕生(たんじょう)した「松下電子工業株式会社(まつしたでんしこうぎょうかぶしきがいしゃ)」は、しばらくしてあらゆる松下商品(まつしたしょうひん)の品質(ひんしつ)を支(ささ)える電子管や半導体(はんどうたい)を生み出していった。景気回復期(けいきかいふくき)にいち早く "世界" をめざした幸之助の志(こころざし)の高さが、高度成長(こうどせいちょう)の波に乗って「家電の松下」の世評(せひょう)(※5)を揺(ゆ)るぎないものに育てていったのである。

※1 敢行(かんこう):思い切って実行すること
※2 提携(ていけい):協同で仕事をすること
※3 資本金(しほんきん):事業を行う上で、もとでとなるお金のこと
※4 是非(ぜひ):正しいか、正しくないか
※5 世評(せひょう):世間によく知られて話題になること