昭和48年7月、幸之助はふと「松下電器(まつしたでんき)も今年で創業(そうぎょう)55年。自分も人生80年の区切り目や」と思った。 するとその瞬間(しゅんかん)、日ごろ漠然(ばくぜん)と考えていた”引退(いんたい)”の二文字が急速に現実感(げんじつかん)を持ってきたのである。そや、そろそろ潮時(※1)や----。 幸之助は素直(すなお)にそう思った。

「どない思う?」
「どない、って言われましても…」
「私(わたし)も数えで80歳、ここらが潮時やと思う。 君はええと思うか?」

次の日、在阪(ざいはん)の役員たちを訪(たず)ね、自分の引退が経営陣(けいえいじん)にどれほどの影響(えいきょう)を与(あた)えるかを推(お)し量る幸之助の姿(すがた)があった。 突然(とつぜん)の話に、はじめは一様に驚(おどろ)くものの、「幸之助のいない松下」を支(ささ)える覚悟(かくご)を囲めていく役員たちの姿を見て、幸之助は安堵(あんど)(※2)した。

思い立ってわずか3日、幸之助は取締役会(とりしまりやくかい)の席上で、会長から相談役へ身を引く決意を表明した。 続く記者会見で「自分で自分の頭をなでてやりたい心境(しんきょう)です」と、所信を淡々(たんたん)と語る姿は、やるべきことはやったというすがすがしさに満ちていた。

※1 潮時(しおどき):物事をするのにちょうどよい時
※2 安堵(あんど):安心すること