宗教団体(しゅうきょうだんたい)の見学を終え、ひとり電車に揺(ゆ)られながら幸之助はもの思いにふけっていた。宗教は精神(せいしん)の安定をもたらすことで人を幸せにしている。崇高(すうこう)(※1)な使命に立つ聖(せい)なる事業だ。そこに携(たずさ)わる人たちは喜びにあふれて活躍(かつやく)し、真剣(しんけん)に努力している。これは、なんとすぐれた経営(けいえい)ではないか。

「正義(せいぎ)の経営、経営の正義……」

帰宅(きたく)して後も考え続ける幸之助の頭に、いつしか一つの諺(ことわざ)が浮(う)かんでいた。「四百四病(しひゃくしびょう)の病より貧(ひん)ほどつらいものはない」---- 人間の幸せにとって精神的安定(せいしんてきあんてい)と物質(ぶっしつ)の豊(ゆた)かさは車の両輪のような存在(そんざい)である。となれば、貧を除(のぞ)き富(とみ)をつくるわれわれの仕事は、人生(じんせい)至高(しこう)(※2)の尊(とうと)き聖業(せいぎょう)(※3)と言えるのではないか。

「そうや! 生産につぐ生産で貧を無くす営(いとな)みこそ、われわれの尊き使命やったんや! ああ、わしはそんなことも知らんかったんや」

われらこそは、自己(じこ)にとらわれた経営、単なる商道としての経営の殻(から)を破(やぶ)らねばならない使命を自覚すべきだったのだ----。いつしか夜も更(ふ)けていた。漆黒(しっこく)の闇(やみ)(※4)のなかで、初めて自らの事業の真の使命に目覚めた幸之助は、ひとり、震(ふる)えるような感激(かんげき)を覚えていた。

※1 崇高(すうこう):気高くとうといこと
※2 至高(しこう):この上もなく高くすぐれていること
※3 聖業(せいぎょう):とうとくけがれのない事業
※4 漆黒(しっこく)の闇(やみ):うるしの黒びかりのような、ぼんやりと認められるほどの暗さ