群馬

昭和60年、関越トンネルの安全性を貫いた換気技術。

「道路そのものは産業にも役立つし、その他交通の上にも役立つ。そうしてそのこと自体がいろんな観光資源を自然に生むわけです」――高度経済成長期の真っ只中、創業者松下幸之助は、繁栄のため道路の拡充と整備の必要性を説く一方、恩恵をさまざまな機会に訴えました。

そんな声を受けるかのように、昭和40年代は名神高速道路や東名高速道路など、高速道路網の整備が加速。東京から埼玉、群馬、新潟を結ぶ『関越自動道』も順次開通しました。生活や物流以外、観光やレジャーにも重要な交通動脈。そこには急峻な谷川岳を貫くビッグプロジェクトがありました。11キロメートルもの『関越トンネル』。昭和60年の開通以来、30年間日本最長の座をゆずらなかった長大トンネルです。

ここに私たちは、換気技術で参画。羽根径メールの大型ジェットファンや計測制御システムなどを納入しました。当時、トンネルには排気ガスの煤塵に路面から巻き上がる粉塵が加わり、狭い空間にたち込めていました。まして長大トンネルでは自然換気だけでは追いつかず、運転手の視界が遮られていたのです。そこでジェットファンを天井に吊り、トンネル内を縦方向に換気。見通しの悪化割合や風向きなどをセンサーで読み取り、ジェットファンの運転台数や方向を的確に制御していました。この『関越トンネル』での成果は道路の整備が急務だった当時、全国各地の長大トンネルで採用。安全で快適な道路交通の道標になりました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは群馬のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。