設立20年目に岐路。 収入増加計画達成のため、有給スタッフを雇用
ただ、こうした特色ある活動を行う一方で、運営基盤は脆弱だったと野田さんは語る。特に運営母体であった企業の経営状態が悪化したのを機に、2000年にはNPO法人格を取得。企業サポートなき後、市民活動色を強めて会費と寄付による運営体制にシフトしてきたが、日本の事務局には有給職員を1人も配置できなかった。
「当時は、事務局長をはじめほとんどがボランティアだったので、事務所に誰もいないということも多く、問い合わせの電話やメールが来ても1週間くらい放置してしまうという状況でした。それでも理事の何人かが意欲旺盛な人たちで、彼らの人脈と気合で乗り切っていたのですが、その中心人物が病気で活動ができないとなった時に、これから先どうするかという岐路に立たされたんです」
これまでのようにボランティアベースの活動を細々と続けるのか。それとも計画的に規模を拡大して、安定的な発展を目指すのか。理事会の議論は紛糾したが、設立後20年目の07年に拡大路線の方針が決定。これに基づき、過去の財務分析を行うとともに、3ヵ年の収入増加計画を作成した結果、先行投資として専従の有給スタッフが必要との意見に集約された。そして、その資金調達先として見つけたのが「Panasonic NPOサポートファンド」であり、計画達成の任務を課されて雇用されたのが、当時フィリピンでインターンをしていた野田さんだった。
「フルタイムの職員として、まず取り組んだのは広報物の刷新とボランティアスタッフのレベルアップでした。ボランティアと一緒に広報委員会を立ち上げ、リーフレットなどを作り直していったのですが、その過程で見えたのは、『アクセス』らしさがうまく語れないということだったので、自分たちのミッションやビジョン、ゴールについて時間をかけて整理していきました。また、『アクセス』の財産である学生中心のボランティアスタッフに年20回以上の研修を行い、活動や広報の質のアップをはかりました」
ネットワークが広がり、企業との連携が実現!
NPOサポートファンドから3年継続して助成を受けた。その間に、事務局はパートやインターンを含めた5人体制を確立して、アカウンタビリティー(説明責任)の強化、資金調達活動の推進、さらにはデータベースの再構築や作業マニュアルの作成など大改造をはかった。
効果は、てきめんに現れた。常勤スタッフによるスピーディーな対応や広報活動の強化により、1年目から会員数や寄付者が増加。3年目には会員・会費額が2倍近くに達し、ボランティア登録者数も大幅に増加した。だが、何より大きかったのは、「外部とのネットワークが広がり、講演依頼やメディア露出が一気に増えたことだった」と野田さんは言う。
外部とのつながりは、2010年に一つのかたちとして結実する。関西NGO協議会の紹介により、近畿労働金庫との間で初の企業連携が実現したのである。これは、近畿労金が預金利用者に渡していた粗品代を、フィリピンの子どもたちの給食代に充てるという事業で、同金庫からの相談を受けて開始された。野田さんは、「組織基盤強化の成果で、胸を張れるぐらいまでにアカウンタビリティーが整備されていたので、相談を受けた時も自信をもって対応できた」と話す。
この「心のそしな事業」は、NPOと企業の協働事業を表彰する「パートナーシップ大賞」の大賞(2011年度)に選ばれ、「アクセス」は大手新聞4紙をはじめ多くのメディアに取り上げられ、知名度が一気に上がった。
また、「アクセス」では新たな取り組みも始まっている。年賀状などの書き損じハガキを収集して換金し、フィリピンの子どもたちの奨学金に充てるというプロジェクトだ。ハガキ400枚で、1人の子どもが1年間学校に通えるという。さらに、貧困問題を気軽に語り合うしゃべり場「世界の中心でオルタナティブを語る!」も2ヵ月に1回のペースで始めた。
「まだ単年度黒字の実現という大きな課題はありますが、今はやったらやった分だけ成果が出るようになったので、組織全体がいきいきしている感じなんです。私たちの目標は、フィリピンの最底辺の子どもたちを小学校に行かせて、尊厳をもって生きられる人を増やすこと。そして、日本でもフィリピンでも、社会は自分たちの手でよくしていけると考え行動する人を増やすことです。まだまだやれることがたくさんあると思っています」
[団体プロフィール]NPO法人 アクセス-共生社会をめざす地球市民の会
日本とアジアの市民の相互交流を進め、貧困のない平和なアジアをつくりあげることを目的に、1988年創設、00年NPO法人に。フィリピンの都市貧困地区2ヵ所と農漁村貧困地区2ヵ所において、貧しい女性や子ども、青年を主な対象とした教育支援、保健衛生、生計支援、青年育成など多様な事業を展開。また、日本では教育機関やイベントへの講師派遣を通じた地球市民教育活動などを行い、日本・フィリピンの共同事業としてスタディツアーを実施している。