NPO法人全国不登校新聞社の組織基盤強化ストーリー
15年前、日本で唯一の不登校・ひきこもり専門紙として創刊された『Fonte』が昨年4月、休刊予告を出すまでの経営危機に陥った。
9月までに300部増やさなければ休刊は免れないというピンチを、組織基盤強化に取り組んだ3年間をベースに、マーケティングの手法も取り入れて、どう乗り切ったのか、話を聞いた。[THE BIG ISSUE JAPAN ビッグイシュー日本版 第213号(2013年4月15日発行)掲載内容を再編集しました]
1998年、中学生の自殺を機に創刊、当初6000部を発行
創刊のきっかけは1997年8月31日、ある中学生が図った焼身自殺だった。
同じ日、別の場所では、中学生が学校の体育館に放火する事件が起きる。
その日は夏休み最後の日、どちらも翌日から学校へ行くことに悩んだ末の悲劇だった。
このように「学校に行くか、死ぬか」の二者択一に陥っている子どもたちに、「学校に行かなくても他の選択肢がある」「死ななくていい」というメッセージを届けるために、不登校の子どもをもつ全国の親の会「登校拒否を考える全国ネットワーク」の世話人らが中心となって「NPO法人全国不登校新聞社」を設立、1998年5月1日、『不登校新聞』を創刊した。
全国不登校新聞社
編集長 石井 志昂さん
創刊号のトップニュースは、父親が息子の不登校を悩み金属バットで殺害した事件。何がそこまで父親を追いつめたのかに迫った記事だった。
月2回発行の『不登校新聞』は「全国初の不登校・ひきこもりの専門紙」として注目を集め、当初の購読部数は6000部にのぼった。
2004年にラテン語で「源流」を意味する『Fonte』と改名した後も、「当事者目線」を第一に掲げた記事を掲載し続けてきた。
現在編集長の石井志昂さんも、かつては不登校の当事者だった。16歳の時、創刊号で当事者の一人としてインタビューを受けたことがきっかけで、編集部につながった。
「創刊からまもなく、不登校・ひきこもりの子どもたちが企画を立てて取材して執筆する『子ども若者編集部』がつくられ、その1期生として登録しました」
最近では、大津いじめ自殺事件を受けて子どもたちが書いた『死にたい君へ』と題する記事や、当事者がひきこもっていた時の心境や脱出の経緯を告白する体験手記などに大きな反響があったという。
有給スタッフは石井さん、フリースクールでのボランティアを経て編集部員となった小熊広宣さん、顧客管理などの事務全般を担当している茂手木涼岳さんの3人だ。記事は石井さんと小熊さん、理事として「全国不登校新聞社」を支える市民と「子ども若者編集部」が分担して書いている。
57人の子どもたちが記事を書き、SNSで編集会議も
一見、順風満帆に見える『Fonte』だが、実は問題を抱えていた。
石井さんは「子ども若者編集部」の1期生だった当時を振り返る。
「1期生は20人弱いましたが、実際に取材をしたり記事を書いたりする作業は、僕たちにとって並大抵のことではありませんでした」
というのも「こういう企画はどうですか」と尋ねれば、「いいと思うよ。800字で書いて」などと個人的に答えてくれる大人のスタッフはいたが、子どもたちをサポートする体制が確立されていなかったからだ。
「不登校・ひきこもりの自分のどこに価値があるのか、何を書けばいいのかわからなくて、去っていく子がたくさんいました。2期生の登録をする頃には、僕と友人の二人だけになっていました」
その後は数人の子どもたちが、自分のスキルでやれる範囲で、年に10本前後の記事を書いているだけの状態だった。
そこで2010年、石井さんは「子ども若者編集部」のサポート体制を構築するためにNPOサポートファンドの助成を受け、組織基盤強化に取り組み始めた。
子どもたちが活動できる環境を整え、年間活動プランを作成し、事務局会議を活性化。取材・編集などの作業をマニュアル化し、子どもたちの自主性に任せたところ、2年目の助成が終わる頃には57人の子どもたちが自ら企画し、年に23本の記事を書くまでになった。
同時に、編集にかかわりたい人が登録するSNSも立ち上げた。ここで編集会議の内容を共有し、アイディアを出し合い、実現したい人同士がチームを組み、企画としてかたちにしていく。
プロセスを“見える化”する仕組みで、約50人が登録している。
子ども若者編集部の取材風景
全国不登校新聞社
顧客管理担当 茂手木 涼岳さん
「取材をし記事を書くことは、子どもたちにとって生きる実感につながる」と3人は口をそろえる。
「編集部での経験は子どもたちに自信を与える。取材にかかわった記事を名刺代わりに渡せば、
コミュニケーションのきっかけにもなります」と茂手木さんは言う。
元読者にチラシや電話、購読部数は倍増へ
こうして紙面の内容を充実させた『Fonte』だが、経営面では大変な状況に陥っていた。インターネットや携帯電話の普及に伴う活字離れも手伝い、創刊以来、購読部数は漸減傾向にあった。
「2012年4月には、購読部数は採算ラインの1100部を大きく下回る820部となり、4月15日号で休刊予告を出すに至りました。広告主は撤退し、9月までに300部増やさなければ休刊は回避できないというのに、当時の僕たちはまったくのノープランでした」と、小熊さんは振り返る。
存続危機を訴える1万枚のチラシをつくり、不登校の関連団体や元読者など、思いつく限りのところに配布した彼らは、
4月から、NPOサポートファンドの組織基盤強化と並行して、NPOマーケティングプログラムの研修にも参加するようになった。
「購読者は2ヵ月で111人増えましたが、300人には届きませんでした。そこで、研修で学んだ顧客視点と効果測定を活用して、111人の新規読者を分析したところ、元読者が41パーセントも含まれていることがわかりました」
全国不登校新聞社
編集スタッフ 小熊 広宣さん
さらに研修では、小さなPDCA(※)を繰り返すことの重要性を学んだ。
「手元には、元読者を含む1万人分の名簿がありました。これを細かく区分して、購読年ごとにチラシを送ったところ、どの年も約3パーセントの元読者が復帰。中でも2年、3年と長期購読していた人の割合が高かった。そこで長期購読者1665人にチラシを送ると、今度は4パーセントに近い66人が復帰しました」
※Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)の4段階を繰り返すことで、業務を継続的に改善していく手法。
そして、顧客管理担当の茂手木さんは「生の声」を聞くために、元読者に電話をかけた。
「いきなり身の上話を始める人もいたし、入院などで購読の更新ができなかった人もいることがわかりました。これまでは情報を一方的に提供するだけで、対話ができていませんでしたが、どうすれば読者の抱えている問題を受け止め、ニーズに合った記事を提供できるのかを考える、いい機会になりました」。
購読期限が切れた人へのアプローチの仕方なども、この対話から見えてきたという。
また、新規獲得に要した労力や時間、経費、成果はすべてリスト化して可視化。「会議でも『たられば』ではなく、数字に基づく議論ができるようになった」と小熊さんは言う。
こうした取り組みの結果、部数は11月末時点で1600部と、ほぼ倍増した。
顧客視点に立つため、今年の1月には読者アンケートも実施した。「アンケート用紙の自由記述欄には、子どもの状況や読みたい記事がこと細かに記されていました。この声を少しずつでも記事化していくことでフィードバックしていきたい」と、石井さんは話す。
また、読者と電話で話した茂手木さんは「地方では孤立している当事者が少なくないこと」を実感した。そこで3月2日には、初の読者限定オフ会を名古屋で開催。読者同士、読者と編集部をつなぐ対話の場となった。
夏には、読者がこれまでの記事から「わが子に合ったもの」を検索できるWEB版を立ち上げる予定だ。
マーケティング フォーラムで取り組み成果を発表
「研修ではたえず、僕たちの新聞は何者なのかと問われました。
そして出た答えは、不登校・ひきこもりを全面肯定するためのプラットフォームであり続けたいということ。
これからも“あなたは生きていていいんだ”という肯定的なメッセージを発信していきます」
手前にあるのは『Fonte』紙
[団体プロフィール]NPO法人全国不登校新聞社
不登校・ひきこもりの子どもをもつ親が中心となり、1998年5月に設立。
日本で唯一の不登校・ひきこもりの専門紙としてタブロイド版8ページの『Fonte』を月2回発行。当事者の声を届けることを第一に考え、体験談や相談欄を設けているほか、全国の親の会の紹介や例会の案内などを載せている。また、不登校を中心とした子どもに関するニュース、文化人や著名人へのインタビューも行っている。月額800円。
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