Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

学びたいことが、やりたいことへとつながった。
異文化生活でのさまざまな刺激。

大阪に住むヒューさん。リモート取材に応じてくださいました

○ヒュー・ズーシンさん
2012年認定→京都大学入学(工学研究科 建築学)→現在 パナソニックハウジングソリューションズ(株)

第2回は、マレーシア出身のヒュー・ズーシンさんにご登場いただきます。パナソニックスカラシップを知ったのはマレーシアの大学を卒業してまもない頃。当時、興味を持ち始めた外国語や、専攻していた建築学を異なる文化の中で学びたいと考えていたヒューさんは、日本への留学に挑戦しました。現在、パナソニックグループのハウジング分野の企業に勤め、製品開発に携わりながら「人びとの暮らしを良くする住環境の実現」に取り組んでいます。学びの先に夢や目標を見いだしたヒューさんにとっての「生きがい」発見の道のりをお聞きしました。

夢への第一歩を踏み出させたパナソニックスカラシップとの出会い

現在、ヒューさんが勤めているパナソニックハウジングソリューションズは、住宅設備や建材などの製造を手がけています。担当しているのは、「先行建材技術」という分野。これまでに手がけた製品には、浴室の音響システムがあります。

ヒューさん:天井点検口の天板の裏に取り付け、天板を振動させることでスピーカーのように音を発生させます。浴室がまるでオーディオルームのように音楽を楽しめる空間に変える設備です。私が担当している製品は建築分野では住宅設備と呼ばれるもので、建物の機能の一部分です。一般の方の話題や関心を広く集めることはないかもしれませんが、自分のアイデアが形となると、それを世の中に送り出しているという実感があり、そこに大きなやりがいを感じています。

ヒューさんが開発に携わる、シーリングバスオーディオはユーザーを包み込むような音を出し、臨場感のある体感を与える

マレーシアの大学で建築学を学んだヒューさんにとって、日本は、世界的に著名な建築家の黒川紀章氏や安藤忠雄氏の作品で知った憧れの国でした。大学卒業後も建築を学びたいと考えていたヒューさんは、外国語に興味を持ち始めたこともあり、海外の異文化の中に身を置き、将来に向けたさらなる飛躍を夢見ていました。そんなヒューさんの背中を押したのは大学で電気工学を教えているお父様でした。

ヒューさん:父がパナソニックスカラシップについて教えてくれました。自身が学生時代に海外留学ができなかったことを残念に思っていた父は、私に海外留学へ積極的にチャレンジすることを勧めてくれたのです。母は数学の教師で、二人の影響を受けたのか、私も理系の勉強が好きになりました。一方で、芸術や美術にも関心があり、その2方向の興味が融合した分野が建築になったのだと思います。残念ながら2022年に取り壊されてしまいましたが、黒川氏の「中銀カプセルタワービル」や、コンクリートで美しい建築物を設計する安藤氏の活躍など、まったく新しいタイプの建築が生まれる日本に行きたい----私の夢は、父の応援によって、実現への一歩を踏み出しました。

視野を大きく広げた京都での異文化体験

京都大学で研究生として学びながら大学院受験の準備をするため、京都での生活がスタートします。生まれ育ったクアラルンプールとまったく異なる環境は、学びとは異なる刺激に満ちた毎日だったと言います。まず、ヒューさんを驚かせたのは、はっきりとした四季の変化でした。マレーシアに四季はなく、一年を通して気温は23〜33℃。日本のように季節によって暮らし方が変化することはないそうです。

ヒューさん:来日時は冬でしたが、その寒さよりも、それから暖かくなっていく環境変化に慣れることが大変でした。季節が移ると環境がどんどん変化する。住まいには、その変化に応じた機能が求められていて、それを知ることが、まさに異文化体験でした。それまで建築物のデザインに向けられていた私の関心は、建築物の機能にも向けられるようになっていきました。そうした新たな視点で建築を見つめ、深めていくと、内装建材という分野の設計に携わることが、芸術も好きな自分の個性も発揮できるのではないかと考えるようになったのです。日本で就職活動を行う際も、そうした分野の会社へのアプローチも加えるなど、具体的な将来展望を持つことができました。

マレーシアでは、ずっと両親と3人の生活だったヒューさんにとって、異国での生活に加え、ひとり暮らしの不安も大きかったそうです。住む場所や日常生活のことは、京都在住の先輩奨学生が相談に応じてくれました。また、体調不良やホームシックになったときは、パナソニック スカラシップ事務局のスタッフのサポートが心強かったと言います。

パナソニック スカラシップのサマーセミナーで、他の奨学生仲間と琵琶湖のジップラインを体験。ヒューさんにとって、かけがえのない友人との出会いの場となりました。

ヒューさん:事務局の方は、そうした日常の悩みや生活上の質問・相談にも親身に対応してくれました。また、夏季には事務局主催でサマーセミナーが開催され、同じマレーシア出身の奨学生とチームを組んで出し物の準備をしたり、アジア各国からの奨学生と交流を深めたりする機会を得て、母国から踏み出した一歩がさらに広がりを持ちました。

京都に来て1年目の頃のヒューさん。京都国際女子寮での交流活動風景。交流会には積極的に参加しました。

ヒューさんは、京都府が毎年、留学生を対象にして任命する「名誉友好大使」として地域のボランティア活動にも参加。小中学校に出かけて母国の文化を伝える活動ですが、子どもたちとの交流は、日本への理解を深める機会にもなったそうです。

ヒューさん:年齢や理解の違いに応じて話し方を選ぶことを知り、心がけました。これは日本のコミュニケーションにおいてとても重要な点だと思います。現在の仕事では、製品開発の際に社会ニーズを抽出するための調査を行っているのですが、建築現場の方々――とても職人気質な人たち、それぞれの仕事の文化を持っている人たちとのコミュニケーションも必要です。日本での生活には、さまざまな交流の場面がありましたが、その経験が生きていると思います。

京都は歴史と近代建築の融合が刺激的と、ヒューさんは言います。京都でお薦めの建造物は「JR京都駅」だそうです。

快適さ、便利さと一緒に自分を感じてもらえるやりがい

2022年の夏、ヒューさんが担当した新たな製品が発売されます。非接触で開閉する自動ドアです。

ヒューさん:コロナ禍における衛生意識の高まりに加え、高齢者施設でのニーズを精査する中で今の時代に合った必要な製品だと判断し開発したものです。自動という便利さだけでなく、誰にとっても「やさしいドア」という思いが込められています。

こうした現代の社会ニーズに応える製品の開発には、自分にとっては専門外だった電気系の技術にも視野を広げる必要があり、日々の学びに終わりはないと言います。だからこそ、製品が実用化され、社会に実装されることに大きな手応えをヒューさんは感じています。

ヒューさん:自分のアイデアが形になったものを、世の中に送り出していると思うとやりがいを感じます。住宅設備は、建築物のように単体での注目は集めないかもしれません。でも浴室で快適な時間を過ごすとき、部屋の移動に見えないやさしさを感じるときに、その快適さの実現に関わった人間として自分の存在を誰かに感じてもらえたならいいなと思って仕事に取り組んでいます。

ヒューさんが建築に抱いた夢は、日本での学びや社会人としての取り組みの中で、人びとの生活をより便利にできるクリエイティブな表現へと磨き上げられてきました。将来は、日本で身につけた社会ニーズを見つける眼差し、きめ細やかな機能で製品化する開発力などをマレーシアで役立てる道、より広い世界へ伝える可能性を探ることなど、今もヒューさんの夢は広がり続けています。