Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

点と点を結んで線にする役割。
自分の強みを知った、人生のターニングポイント。

カクさんは、日本企業の技術力の高さに注目。現在、日本の大手素材メーカーに勤務。

○郭 義榮(カク・ギエイ)さん(台湾)
2011年認定→東京大学(工学系研究科 化学システム工学)→現在 AGC(株)

第3回にご登場いただく、台湾出身の郭 義榮(以下:カク・ギエイ)さんは、もともとは日本への留学を考えてはいなかったそうです。台湾の大学で化学工学を学ぶうち、日本の技術力の高さを知り、パナソニックスカラシップによる日本留学を実現。台湾と日本、自身とさまざまな奨学生との国際的な交流を経て、異文化同士のコミュニュケーションの大切さを目の当たりにしました。その中で、自分の強み、役割、将来を展望していました。
「奨学生時代の自分にとって今の自分は想定外かもしれない」と振り返りながら、「だからこそ、当時の学びが大切だった」と断言。その理由をお聞きしました。

考えてもいなかった日本への留学

カクさんは台湾の大学に通いながら将来について考えていました。大学で学んでいる化学工学は基礎的な学問。それを将来に結びつけていくには、卒業後に予定されている1年間の徴兵後も、この学びを専門的に深める勉強がしたい。周囲の学生が欧米への留学準備を進めていることにも刺激されていました。そんなとき、ゼミの先生に言われた「日本への留学も考えてみませんか」という提案がカクさんの人生を大きく変えます。

カクさん:当初、日本への留学はまったく考えていませんでした。その先生は、触媒など材料の研究をされていて、素材分野における日本の技術力の高さをよく知っていたのです。学術でも実用素材の開発においても日本は世界的な強みを持つことを知りました。興味を持つと同時に、自分の学びの先に未来を切り開くチャンスが日本にあるのではないかと思い、日本留学のための資料を集め始めました。

大学4年から日本語の勉強を始め、徴兵期間の1年間と、その後の1年は大学の研究室でリサーチアシスタントの仕事をしながら準備を進めます。第1回に登場していただいた周采璇(シュウ・サイセン)さんは、大学の同期生。同じダンス部に所属した仲間でした。一足先に日本留学を果たしたサイセンさんのアドバイスも得、2011年にパナソニックスカラシップの認定を受けて日本への留学が叶いました。

東京大学大学院を経て日本企業へ。カクさんは後列左から4番目。ここからさまざまな挑戦が始まりました。写真:カクさん提供

カクさん:日本に来て、まず印象的だったことが、留学生の私に積極的に声をかけてくれる人が多いことでした。実は台湾の大学にも海外からの留学生はいましたが、私から声をかけたり、積極的にコミュニケーションを取ったりすることはありませんでした。当時の将来展望には、台湾で働く自分に海外との関わりをイメージすることができなかったのかもしれません。私は、海外へ一歩踏み出すことで何かをなし得た気持ちでしたが、留学先で出会った、積極的に、しかも自然に異文化へのコミュニケーションを取ろうとする人の考え方や価値観にとても刺激を受けました。

「日本と世界の架け橋になる」という初心を貫徹

日本に来た当初は、言葉のニュアンスを読み違えたり、価値観の違いから誤解をしてしまったり、コミュニケーションには苦労したそうです。

カクさん:しかし、周囲の日本人は「考えが異なる点は『分からない』と、気軽に聞いて欲しい」と気遣い、私と意見が異なっても「なるほど、台湾ではそう考えるんだ」と興味を持って理解しようとしてくれました。同時に同じ奨学生同士の交流も私の意識を変えていきます。中国や香港、タイ、ベトナム、インドなど、アジア各地の出身者の間でも異文化を尊重し合うコミュニケーションが生まれました。互いに異なることを理解し、相手の価値観を尊重し合うことの大切さ、必要性を強く感じました。

カクさんは、大学院で学びを続け博士課程に進むか、院を終えて就職をするかという点で悩みましたが、日本での就職を選びました。さらに、日本にある外資系企業ではなく、日本の企業に勤めたいと就職活動を始めます。

カクさん:留学に際して、パナソニックスカラシップのエントリーシートには、「日本と台湾、日本と世界の架け橋になっていきたい」と書いていました。それを書いた時点では、では何をするかまではイメージできていなかったかもしれません。しかし、3年間の奨学生時代の経験は、「日本と世界の架け橋」としての自分の姿がはっきりイメージできるようになりました。

カクさんは、当初は戸惑った日本社会独特のコミュニケーションには、文化的なルールや互いの共通の価値観に基づく阿吽の呼吸があることを次第に理解するようになりました。外国人だから理解できないとせず、外からの視点で理解することで、日本と台湾、日本と諸外国の取引や協業をスムーズに調整できるのではないかと考えました。そして、自分にはその役割を担えるという自信が生まれたそうです。

得意のダンスでイベントに参加したカクさん(左から2番目)。横断幕も仲間と手作りしました。写真:カクさん提供

カクさん:研究の現場では、先輩や後輩に研究を得意とする人が多くいました。正直、私は研究を少し苦手と感じていたのです。でも研究内容のプレゼンは、高く評価されていました。これは自分の強みだと気づいたことが、博士課程ではなく就職を選んだ大きな理由です。日本には素晴らしい素材を生み出す技術がたくさんあり、それを支える職人もいます。海外の企業が何か新しい製品を作りたいと技術を探しているときに、専門知識を持つ私なら、ここにこういうものがありますと紹介できます。さらに日本と海外のビジネス・コミュニケーションを円滑に進める調整も、双方の違いを理解に変えていく役割も担える。そうした自分の持ち味を自覚できたのは、留学経験があればこそ、です。

日本にいるなら富士山に登らなければ、と富士山登頂にも挑戦。写真:カクさん提供

留学経験で知った、人と人を結ぶ大切さ

人と人、製品開発と素材技術、国と国。そうした点と点を結んで線にする役割は、カクさんに未来を見据える生きがいを与えてくれたと言います。

カクさん:私は会社では技術営業部に所属し、事業開拓部の業務も兼務しています。業務の分野は営業職です。直接ものづくりをするわけではありませんが、この社会に何かを生み出す一員としてのやりがいを感じています。
80年代半ばに登場した携帯電話が30年後にはスマートフォンに進化して人びとの暮らしに大きな影響を与えているように、30年後誰もが当たり前に使っている革新的な製品の誕生に関わった1人でありたいと思います。これからの30年間、どれだけ自分の強みを発揮し、価値を高められるのか。そういう仕事や経験を日本で積み上げていることに感謝しています。

台湾で過ごした学生時代の自分から、今の自分の姿や環境を想像することはできないでしょうとカクさんは言います。でも、だからこそ、目の前のことにしっかり取り組まなければいけないと今は確信しているそうです。

カクさん:「目の前のことをちゃんとやる」が、私のモットーです。台湾の大学生だった自分には、日本への留学も、日本での就職も、今から30年後の夢もすべて想定外です。でも、何かを学ぶときにしっかりと向き合い、ちゃんと学ぶ。それは確実に前に進む1歩となります。選択肢はその先に必ず待っているので、将来を悩むなら目の前の一歩を確実に踏み出すことが必要だと思います。パナソニックスカラシップへの参加はその第一歩でした。そして、私の人生のターニングポイントになりました。