Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

医薬品の研究・開発に携わる現在につながる道。
その過程に欠かせなかった日本への留学経験。

○ムハマド・サハランさん(インドネシア)
2005年認定→東京農工大学入学(工学部 生命工学科)→現在 国立インドネシア大学 准教授

第4回にご登場いただく、インドネシア在住のムハマド・サハランさんは、現在、国立インドネシア大学で准教授を務め、ハチのプロポリスの研究やその成果を生かした医薬品開発にも携わっています。また、教職員の立場から学生たちの海外留学や、パナソニック スカラシップの現地認定への応募をサポートするなど、自身の留学経験を次世代に継承する取り組みもされています。それは、早くから大学での学びの先に教授になるという目標を目指していたサハランさんに、「ぜひ海外で学ぶ経験をしてきなさい」と送り出してくれた大学のアドバイザーや教授たち、実現を後押ししたパナソニック スカラシップへの感謝と、そのバトンを自らつなぐ意義を感じたからだと言います。

日本とインドネシアで具体化していった将来の夢

高校生の頃から化学や生命工学に関心を持っていたムハマド・サハランさんは、将来を見据え、理工系の国立大学へ進学しました。化学の応用やバイオテクノロジーの将来性を深く知ることで、自らその分野に携わることのできる教授になりたいと、将来の夢を持つようになったそうです。

サハランさん:大学のアドバイザーや教授に相談すると、外国留学を経験し、勉強の視野を広めることを勧められました。当時は大学3年生でしたので、いろいろな国のスカラシップ制度を調べ、まずは日本への短期留学にチャレンジしました。2002年、2度目のチャレンジで東京の理工系の大学に合格、短期留学したことが、私の人生を大きく変える一歩となりました。

その大学には、生命工学の学科はなかったため、サハランさんは、将来の本格的な日本への留学を視野に、将来の目標に必要な学びができる大学について情報を集めることに。当時、東京農工大学に在籍していた同じインドネシアの留学生仲間に紹介され、同大の研究室を訪ねることに。

サハランさん:留学先の大学では応用化学の分野を学び視野を広げつつ、毎週月曜日の夕方には東京農工大学の生命工学専門の養王田(よおだ)正文教授の研究室に顔を出しミーティングに参加しました。将来、本格的な日本留学で修士課程をとりたいと考えていたので、養王田教授との交流でその道筋が具体的に見えてきました。

短期留学を終えて帰国したサハランさんは、2004年、スラバヤのバイオ製薬会社に就職。働きながら日本留学を叶えるスカラシップの情報を集めました。会社の社長も、サハランさんの将来の夢を理解し、スカラシップの面接があればそちらを優先するのを認めて応援してくれたそうです。

家族と出席した大学院の学位記授与式。写真右は恩師・養王田教授。写真:サハランさん提供。

サハランさん:会社の仕事は、それまで学んできた化学の知識を生かせるものでした。そうした、実業の世界も知ることで、研究職という従来の夢に加え、研究成果を具体的に役立てる製品開発にも希望が広がっていきました。勉強を重ね、パナソニック スカラシップを知り、日本への留学に挑戦できたのも、当時の社会人経験が大きいと思います。2005年にパナソニック スカラシップに応募。1,500人の応募者の中から私を含む2人が日本に留学を果たしました。

日本留学で知ったパナソニックの哲学

パナソニック スカラシップ奨学生として日本へ留学したサハランさんを受け入れたのは、すでに交流のあった東京農工大学の養王田教授の研究室。2005年4月から半年間は研究生として過ごし、10月から同大の修士課程へと進み、高校生の頃からの夢だった研究職への道を歩み出します。

サハランさん:パナソニック スカラシップでは、学費だけでなく、生活資金もサポートされるので、自分の学びたいことややりたいことに専念できます。私はそのとき、妻と日本に来ました。その後、5年間を日本で暮らしましたが、その間に2人の子どもが生まれ家族も増えていきました。私の人生において大きな変化を伴う時期でしたが、そのスタートが学業と生活両面で安定し、充実したものとなりました。

サハランさんは、インドネシア出身の留学生コミュニティでも積極的に活動。同国出身者学生による「学会発表」や「ミニエキスポ」などを自主開催し、そのリーダー的存在として学生生活も充実させていきます。この頃、強く印象に残っているのが、パナソニック スカラシップが主催する奨学生同士の交流だそうです。

母国出身の留学生と積極的に交流を図りました。写真は花見会の模様。写真:サハランさん提供。

サハランさん:サマーキャンプでは、アジアの他の国々の奨学生との交流があり大きな刺激となりました。また、パナソニックがある大阪や、神奈川県にある松下政経塾を訪れる機会を得たことは、学問だけにとどまらない、社会的視野を私に与えてくれました。パナソニックの企業哲学が、製品の開発はもちろん、社会への視点にまで広がっている。こうした日本の企業の在り方を知る機会を得たことは、パナソニック スカラシップ奨学生として日本で暮らすことができたからこそだと思います。

パナソニック スカラシップは、サハランさんの人生をさらに一歩進める役割を担います。パナソニック スカラシップは、大学院における修士課程が対象でしたが、サハランさんは、日本で博士課程まで進むことを考えるようになりました。

サハランさん:日本国内のいろいろな企業のスカラシップや政府の制度も調べました。他の国のスカラシップも検討しましたが、私は、それまでの経験から、日本での生活の中で博士課程も学べたらいいなと思うようになっていました。すると、パナソニック スカラシップは、初めての例として私の博士課程の支援を決めてくれたのです。おかげさまで、東京農工大学で生命工学専攻の博士課程を取得し、2010年に国立インドネシア大学に採用されました。私が大きな一歩を踏み出せる形で日本から送り出してくれたパナソニック スカラシップに、とても感謝しています。

研究と開発の両輪で進む人生

現在、インドネシア大学で准教授として勤めるサハランさんは、同大の工学部研究地域連携副学部長としてさまざまな活動に取り組んでいます。東京農工大学の養王田教授の研究室との共同研究をはじめ、静岡大学や日本国内の研究機関と連携を広げ、毎年、日本を訪れているそうです。

サハランさん:特に力を入れているのが、私が教えている学生たちの海外留学です。養王田教授の研究室や、静岡県、大阪府などの大学に毎年数人を数カ月間受け入れていただいています。また、現在のパナソニック スカラシップ奨学生に応募を希望するインドネシア大学の学生のサポートも続けています。今年も7月にインドネシアで開催された認定式に参加し、「後輩」たちの希望に満ちた顔を見ることができました。

高校生の頃、サハランさんが夢見た未来は、日本への留学、日本とインドネシアを結ぶ学問と人の交流に関わる中で日々広がり、そして具体化しています。大学の研究とは別に、企業での薬品開発にも携わり、研究してきたハチのプロポリスを活用した石鹸やシャンプー、スキンケア製品の開発でも成果を挙げています。特にインドネシア固有の針のないハチの研究成果は、日本の大学との共同研究で今後さらなる発展が期待されています。自身の夢の道を歩き続けるサハランさんの姿は、これからのパナソニック スカラシップ奨学生の道標となることでしょう。

日本滞在中は日本の文化や生活も堪能しました。写真は家族と訪れた温泉旅行。写真:サハランさん提供。