Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

アルムナイの心にも根ざしている
「松下幸之助の思い」=「パナソニックの価値」を
世界に伝え、広げたい。

○ムザファル・ビン・モハマド・ユソフさん
国籍:マレーシア
現在の居住国と職種:マレーシア パナソニックアプライアンス エアコン マレーシア株式会社
2000年認定→千葉大学(自然科学研究科 知能情報工学)→2002年、修士課程修了後、松下電器産業に入社。製品審査に従事した後、品質管理システム(QMS)及び品質保証のガバナンス、海外の技術法規、エキスパートとしてサポート→2019年、パナソニックアプライアンス エアコン マレーシア株式会社

ムザファル・ビン・モハマド・ユソフルさんは、留学後も日本で就職し、約20年にわたりパナソニック本社・アプライアンス本社で、製品の品質に関わる仕事をされてきました。それは、創業者・松下幸之助の理念の原点に一番近い現場です。安心安全、丈夫さ、使い勝手の良い製品。でも「それだけではない」ものがあるとムザファルさんは考えます。それはパナソニック スカラシップで日本留学を果たした多くのアルムナイにも手渡された「パナソニックの価値」だと言います。今、「パナソニックの価値」を世界に広げたいと新たな一歩を踏み出したムザファルさんの見る、未来の可能性をお聞きしました。

「パナソニックの価値」を世界に広げたい。
しかし、それは日本にいてはできない

ムザファルさんは、2019年に母国のマレーシアに帰国。現在は、世界120カ国以上に製品を輸出する生産拠点のパナソニックAPエアコン マレーシア株式会社(PAPAMY)で品質企画を担当しています。約17年勤めたパナソニック本社を離れ、帰国を決めたのは、幼いお子さんたちの教育のためであり、ムザファルさん自身のある思いを実現するためでもありました。

「私が日本、そしてパナソニックで学んだことはたくさんあります。それは、生まれ育ったマレーシアや、最初に海外留学をしたオーストラリア、パナソニック入社後に訪ねた世界のどの国々とも異なる日本独自の文化や行動規範に根ざしたものです。たとえば決められた時間にとらわれずに努力し、物事を深く理解する姿勢。自分の仕事のゴールは、エンドユーザーの満足感だと考えて、製品の設計から製造まですみずみまでなされる配慮。決められたこと一つひとつを必ず守る規範。日本以外で生まれ育った人にとっては、それは息苦しさや不可解さを感じることかもしれません。でも私の性格にはとても合っていました。小さな頃から人とは違うことがしたかった私は、発言も行動も父親を困らせるほど突飛で、自分でも『変わった人』だと思っていました。ところが、日本に来て、勉強でも仕事でも私以上に『変わった人』が多くいることに驚きました。同時に、日本の人びとの物事への取り組み方は自分にとても合っていると思ったのです」

オーストラリアの大学を卒業後、さらなる学びを求め次の海外留学を計画していたムザファルさんの選択肢は、ドイツと日本の2カ国でした。技術の分野に進みたいと考えていたムザファルさんにとって、日本もドイツも技術の先進国として大きな期待が持てました。しかし、「人とは違うことがしたい」という思いが「日本しかない」という決断につながったそうです。そこには幼い頃の経験も影響していると言います。ムザファルさんの父親は日系企業に勤めていたため、その社員の日本人との交流も幼い頃から経験していたそうです。

「日本人の家を訪問したときの驚きを今でも忘れません。家の中はきれいに整頓され、暮らしの中の振る舞い方も独特。何かが違うのです。その家のお子さんが使っていたオモチャをいただいたのですが、まるで新品のように大切に扱われていました。いったい、なぜこんなに違うのだろう? でも、今はわかります。ああ、あれは『5S活動』が徹底されていたのだと」

「5S活動」とは、製品やサービスのQ(品質)、C(コスト)、D(納期)の改善を図るため「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」の5項目を徹底する活動です。後にパナソニックに入社し、長く品質に関わる仕事をすることになるムザファルさんは、日本の製品に求められる品質の基準は日本文化の中にあると実感したそうです。

「パナソニックに勤め、ほぼ全製品について検査を担当し、海外の輸出先での品質基準を保つための役割を担ってきました。基準を設け、仕組みをつくり、それを守る。しかし、そのルールを海外に、日本人以外の人びとに伝えても、それだけではパナソニックの製品の価値を確実に海外のユーザーに届けることはできません。パナソニックの価値は、日本の文化から生まれたものです。私はその文化を理解し、諸外国の人びとの文化に溶け込めるよう配慮して英語に翻訳し伝えることができます。長年勤め、私にやりがいと充実、『人とは違う特別な生き方』を経験させてくれたパナソニックに恩返しがしたいと思ったときに、パナソニックの高い価値を広めることこそ自分だからできることだと確信しました。そのためには、日本にいては限界がある。外に出なければと思ったのです。マレーシアへの帰国は、そうした私の新たなチャレンジの第一歩でもあるのです」

良い製品を届けるために使う人のことを深く考える

パナソニック スカラシップに認定され、千葉大学に留学し修士課程を卒業したムザファルさんは、日本での就職、それもパナソニックへの就職だけを望みました。パナソニック スカラシップを通じて理解を深めた創業者・松下幸之助への尊敬の念からでした。

「私の実家にも、当時のブランド名『ナショナル』製の家電製品がいくつもありました。どれも丈夫で長持ちし、子どもの頃からすごいものをつくる会社だなと思っていました。松下幸之助が遺した『物をつくる前に人をつくる』という言葉があります。どこの国でも、その文化に関係なく、会社とは『物をつくるために人を使う』し、仕事とはそういうものだと私は思っていたので、その理念にとても感銘を受けました。あの家電製品は、まず人づくりからスタートしているのか。どんな会社なのだろう……。もう、パナソニック以外で働く自分を想像できませんでした」

その思いが叶い、パナソニックに入社したムザファルさんを待っていたのは想定外の仕事でした。大学で情報工学を学んだムザファルさんは、社内ITシステム部門に配属されたのです。

「困りました。私は研究室の現場で現物の機器を前にしてその性能を高めることは得意でしたが、想定し、想像し、システムを設計するのは苦手だったのです。あこがれていたパナソニックに貢献したいと願っていた私は、自分の強みはなんだろうと自問しました。そして、『変わった人』という自分の個性がいかせるのではないかと考え品質に関する研修を受けました。すると品質本部から声がかかりました。海外輸出の製品の品質を考えるために外国人の視点が必要だと言うのです。私にはうれしい提案でした。同時に驚きも伴いました。私の新たな配属先は製品審査だったのです。製品審査と言えば、松下幸之助とパナソニックの歴史にとって重要な場所であることを知っていたからです」

終戦間もない1945年12月、松下幸之助は「製品検査所」を設置し、技術・品質の向上のために「製品検査所を通過しないものは市場に出さない」としました。その理由は、製品は高く売れて儲かればいいのではなく、生産の苦労を認められる感激にこそ価値があるからだと社員に理解を求めたのです。

パナソニックの歴史において、品質本部に配属された最初の外国人社員となったムザファルさんは、期待以上の結果を出すようになります。ムザファルさんが審査する製品は、必ず壊れ、製品審査を通過せず、出荷停止となるのです。その話題はまたたく間に全社に広まります。

「私の印鑑は『ムザ』と彫られています。出荷停止の書類を見た各事業部長の方々が、『このムザって誰だ?』と言い始めました。『壊れない家電』に憧れた、そのものづくりを担いたいと願った私が、パナソニックの総本山ともいえる製品審査で出荷停止のハンコを押すのです。私も驚きましたが、やっていることに自負もありました。多くの人が私に聞きました。『ムザファルさん。なぜあなたが触ると製品が壊れるの?』と。でも、私が理由を説明すると、みなさん理解され、納得してくれました」

チェコで開催されたパナソニック製造拠点の小集団リーダ会合研修に日本代表(講師)として参加。各国の担当者とのコミュニケーション疎通に尽力しました。

ムザファルさんは、まず「日本の生活習慣と異なる国ではどう使われるだろうか」をイメージしました。大きな冷蔵庫に慣れた米国人ならドアの開け閉めの力も違います。大学時代の留学生会館で一緒に暮らしたさまざまな国の学生たちの料理の仕方を思い出して、製品の使われ方のいろいろなシミュレーションもします。すべてが製品を設計する段階では想定外のことばかりです。次に、ムザファルさんは「日本人の使い方」を家電量販店に足を運んで観察しました。さらに他社製品を使ってみて、違いを検証しました。

「たとえば家事をすることの多い人の場合、ボタン1つ押すのにも手触りが大切です。操作のかたいスイッチより、触れただけで反応するボタンの方がいい。売れている他社の製品を見るとそうしたことにも気づく。たしかに私に求められたのは外国人の視点です。ただ、それだけでなく、使う人が何に満足するのか、そのことまで考えて製品審査をする。それこそが松下幸之助の視点、パナソニックの価値だと考えます。私はパナソニック グループのほとんどの現場、ほぼ全製品を見ました。どの製品も、丈夫であることはもちろん、ユーザーが満足し生活を豊かにすることに加え、その基本に安心安全であることが一貫しています。そのすべてが整い、製品審査を通過し、世界の人びとにその品質が保たれたまま届くこと。それが今の私の仕事の大きなやりがいとなっています」

お子さんは日本で生まれました。家族旅行にもよくでかけました。

オートバイが趣味。オートバイ仲間とのツーリングも楽しんでいます。

パナソニックの価値を世界に広げるネットワークに期待

「私はパナソニックに就職しましたが、パナソニック スカラシップの支援を受けたアルムナイの多くは、さまざまな日本企業、それこそ他のメーカー、そして世界各地で母国の企業や国際企業に勤め活躍しています。このことは、アルムナイに共通の驚きであり、感謝しきれないことです。スカラシップの原資は会社の利益です。それが、まったく関係ないアジアの学生への支援に使われている。この支援の価値は、たぶん受け取った私たちにしかわからないものかもしれません。しかし、この価値は、松下幸之助の思いと深くつながっています。それは、先ほどからお話ししているパナソニックの価値そのものと同じです。パナソニックの綱領にもある『社会生活の発展と向上を目指し、世界文化に寄与する』という思いを胸に、私たちアルムナイたちは、自らの仕事に細心の注意を払い、自らの役割を十分に果たし、『感激』を得られる生き方、働き方を得ることを世界各地で実践しているのです。それぞれが人生を振り返る時、その道のりの先にパナソニック スカラシップという共通の起点を見出すことができます」

ムザファルさんは、同期のアルムナイだけでなく、多くのアルムナイとのネットワークの構築にも努めてきました。今後もそれをさらに広げることで、世界中の「パナソニックの価値」を共有する人びととのつながりを深めたいと願っています。今は、日本への留学をすることなく母国で学ぶパナソニック スカラシップ アジアの奨学生やアルムナイとも、日本の文化、そしてそれぞれの文化を理解し合い、新たな価値の醸成につながる可能性も展望していると言います。