2-4. 半日操業
昭和4年の暮れ、「松下電器製作所」の倉庫は、入りきれないほどの在庫を抱え込んで悲鳴をあげていた。日本中がかつてない大不況にあえいでいるのをよそに伸展し続けていた事業も、ついに11月頃から急速に悪化、製品の売れ行きが半数以下になってしまったのである。しかも、500人に達する人員を抱える所主たる幸之助は病床に伏せていた。打開策に思い悩む幸之助のもとに、現場を預けられていた幹部が、訪れた。こうなったら、ひとまず従業員を半減するより仕方がない。そう報告する幹部を目の前にして、幸之助には一つの決断がひらめいた。
自分は、将来ますます発展するつもりで事業をしている。ならば、せっかく松下に入ってもらった人たちを一時の事情で手放すのは間違った判断だ----。こう考えた幸之助に迷いはなかった。解雇も覚悟していた従業員たちはその心意気に感激し、燃えた。その結果、翌年2月には倉庫を埋めつくしていた在庫はきれいになくなり、一日中操業しなくては生産が追いつかないまでに回復したのである。