イズムストーリー 1.
“10倍”の進化を実現したSABAEの超微細加工技術との出会い
~「ナノイー」「ナノイーX」デバイス開発~
「ナノイー」と言えば、髪をしっとりと乾かすドライヤーや、肌に潤いを与えるスチーマーを思い起こす方が多いかもしれません。でもナノイーのもたらす効果はさまざま。昨今、みなさんがより気にかけるようになった「空気環境」の改善にも大きな効果があることが実証され、様々な空質改善製品にも搭載されています。
「ナノイー」とは、マイナスイオンを含んだ、ウィルスやたばこの煙よりも小さなサイズの水の粒子です。では、そんなナノ粒子は、いったいどんな仕組みによって発生するのかご存じでしょうか?そしてその仕組みは、どのようにして生まれたのでしょう?
パナソニックに入社したばかりの私、滝川裕基が、「ナノイー」デバイス開発に長年取り組んできた先輩技術者・山口友宏に、デバイス進化の歴史と秘密を聞きました。
(左)パナソニック株式会社 アプライアンス社
ビューティ・パーソナルケア事業部
デバイス商品部 課長
山口友宏
(右)パナソニック株式会社 アプライアンス社
ビューティ・パーソナルケア事業部
デバイス商品部 社員
滝川裕基
1.「ナノイー」誕生!
滝川:
パナソニックが「ナノイー」を生み出すことが何故できたのか、その経緯を知りたいです。
山口:
事の始まりは、およそ20年前にさかのぼる。2001年頃、社名がまだ松下電工だった時代、住環境における「空気浄化」を探求しているなかで「ナノイー」は生まれたんだ。部屋のニオイやハウスダストを抑えようとしたときに、水が持つ、臭気成分を溶かす能力を使えないかと先輩たちが考えた。例えば、部屋で霧を吹くと、水が臭気を溶かして脱臭してくれる。でも、霧はすぐに床に落ちてしまって部屋全体に広がらず、効果は長続きしない。床も湿ってしまうよね。
そこで、もし水を「超微細」にすることができれば、空気中にとどまってしっかり脱臭してくれるだろう・・・そう考えたんだね。そこで、広島大学の奥山喜久夫教授が研究されていた「静電霧化」という技術に注目したんだ。
滝川:
「静電霧化」・・・電気で霧を作るんですね。
山口:
水に高い電圧をかけると、電子が集まり、バランスが崩れた時に水は『レイリー分裂』によって超微細な粒子になる。奥山教授の協力を得ながら、超微細な水を発生する仕組みを研究開発し始めた。
滝川:
「ナノ」はたしか・・・「10億分の1」ですよね?
山口:
そう。レイリー分裂した水の粒子の直径は5~20nm(ナノメートル)しかない。これは、加湿器から出るスチームよりはるかに小さい。このサイズの水は、空気中に長く漂う。そして繊維の奥にまで入って行ける。
滝川:
『レイリー分裂』を起こすのは、どれくらい難しいんですか?
山口:
水をナノサイズの微粒子にするのはかなり難易度が高い。
離れた二つの電極の間で放電させる。片方の電極に水が付いていれば、その水はナノサイズの微粒子に分裂するんだ。ただし、電極の形状、電極間の距離、角度、電圧・電流の量など、いわゆる「放電設計」ができていないとナノサイズの微粒子水は生まれてこない。
さらに難しいのは、この現象を家電製品の中で繰り返し、故障なく起こすことなんだ。
滝川:
そこでパナソニックの「ものづくり」が問われるんですね。
山口:
そのとおり。タンクに貯めた水を毛細管現象で電極の周りに纏わせ、放電すれば「ナノイー」が発生する。ところがそこで問題が起きてくる。水道水の中のカルシウムが電極に固着してしまうんだ。そのまま放電を繰り返すと、カルシウムの固着量が増え、だんだんナノイーの発生量が減っていってしまう。さらには、放電の度に電極は少しずつ摩耗していく。それらを避けるために、電極の素材と形状を探っていく必要があった。
滝川:
どんなふうに探っていったんですか?
山口:
そのころ、僕は電極の開発担当になった。電極の素材についてはアルミ、銅、セラミックなど、いろいろ試していった。また、二つの電極の形状もいろいろと試していった。送る側の電極はピン状で、そこでレイリー分裂が起きるから「霧化電極」、受け側は「対極板」というんだけど、「霧化電極」と「対極板」の様々な形状の組み合わせを数百通り試作し、「ナノイー」放出量が最大になる「ナノイー」発生デバイスを追求していった。結局、素材は水中のカルシウムが固着しにくいセラミック、形状はこの写真のようなものがベストだとわかってきた。研究開発を始めてから「ナノイー」発生装置の試作品が出来上がるまでおよそ5年、そしてさらに2年後の2003年に、初の「ナノイー」搭載製品である空気清浄機、『エアーリフレnanoe』を発売したんだ。
滝川:
今までないものを作るには、やはり時間がかかりますね。
山口:
それだけに、1号製品を世に送り出したときは、喜びもひとしおだったよ。
2.タンクを無くせ!
滝川:
「ナノイー」初号機の『エアーリフレnanoe』の評価はどうだったんですか?
山口:
脱臭の効果を実感していただき、高い評価をいただいた。
ところが驚いたことに、「ナノイー」は、脱臭だけではなく他の機能もあることが分かってきた。除菌や、アレル物質の抑制などだ。これらの機能は水だけでは説明がつかない。「ナノイー」にはその名の通り電気(electric)を帯びているので、その作用だろうと考えられたが、理由を説明することはできなかった。そこから、大学の協力も得ながら様々な研究を進めたんだ。そして見えて来たのが、「OHラジカル」の存在だった。
滝川:
「ナノイー」デバイスから発生した水イオンに、予想していなかったものが含まれていたってことですか。
山口:
そうなんだ。ところがこのOHという分子が、さまざまな効果をもたらしていたことが分かってきた。OHは非常に不安定で、安定さを取り戻すために水素(H)と結合したがる。積極的に結合に向かうから、「ラジカル」って名前がついている。たとえばOHラジカルが菌にくっつくと、菌の水素を抜き取ってしまい、菌を抑制してしまう。水素を奪い取ることに成功したOHラジカルは、H2O、つまり水に戻る。。
この「周りの物質から水素を抜き取る」性質によって、「ナノイー」は花粉やカビ、菌の抑制といった、さまざまな効果を発揮する、というわけ。相手の水素を抜くことで、相手を「分解」あるいは「変性」させてしまうんだ。臭いやPM2.5の場合、OHラジカルは臭いやPM2.5の原因物質にとりついて、分解してしまう。たとえば、尿の臭いのもととなるアンモニアなら、OHラジカルによって水と窒素に分解されるので、臭いをもとから無くしてしまう。花粉などアレル物質に効くのも同じ原理だ。
滝川:
なるほど!脱臭や除菌の原理がわかりました。
それだけの効果があるなら、その後、「ナノイー」は普及していったんでしょうね?
山口:
しかし、普及のためには、壁があった。水タンクの問題だ。ミストが見えないのでユーザーは水の補充を忘れてしまいがちだし、「ナノイー」をいろんな製品に展開したくても水タンク必須だと展開範囲が狭まってしまう。例えば、エアコンに「ナノイー」デバイスを搭載しようとしてもタンクを置くスペースを取るのは難しいだろう。
そこで我々の次のミッションは、「水タンクを無くすこと」になったんだ。
滝川:
ええっ?そんなことが可能なのでしょうか?「ナノイー」の「原料」は水なのに・・・
山口:
それが可能なんだな。滝川君は冬場、「結露」で困ったことはない?
滝川:
ああ・・・ガラス窓の内側に水滴がついて、垂れて、窓の下がびちゃびちゃになるやつですね。
山口:
あれは、室内外の温度差によって空気中の水分が集まって液体になった水だよね?つまり、温度差を作ってあげれば、水を気体から液体にすることが出来るんだ。
実は、温度差を作るデバイスは、パナソニックでは一部の冷温庫に使っていた。ペルチェ素子って聞いたことないかな?この半導体素子は、直流電流を流すと板の片面が熱く、裏面が冷たくなる。このペルチェ素子を使えば、空気中の水を結露させることが出来るぞ、と。そうして2005年に完成したのが、ペルチェ方式の「ナノイー」デバイスなんだ。
山口:
このデバイスの登場によって、「ナノイー」は空気清浄機以外の様々な製品にも搭載できるようになったんだ。エアコン、洗濯機、加湿器、スチーマー・・・。
滝川:
ペルチェ式デバイスの開発が「ナノイー」普及の大きなきっかけになったんですね!
3.ペルチェ式デバイスを小型化せよ!
山口:
様々な家電に「ナノイー」デバイスを搭載すれば、臭い、カビ、アレル物質、PM2.5といった課題を解決することが出来る。ただ、空気の流れが最適の場所で「ナノイー」が発生するようにデバイスを設置する事が大事で、そのためには、デバイスのサイズはまだまだ小さくしなければならなかった。
滝川:
十分に小さい気がしますが・・・
山口:
小さくするためには、使用するペルチェ素子の数を減らしていった。最初は十数対(つい)の素子を使っていたけど、最終的には1対(つい)まで絞り込んでも十分結露と放熱ができるデバイスに仕上げていった。6年かかったけどね。
あと、二つの電極の形状と素材の進化も進めたんだ。わかりやすいのは「対極板」のほうの形状だね。
滝川:
あ!2008年のデバイスの「対極板」は、ドーム型に変わっていますね!
山口:
これで放電量を上げ、OHラジカル発生数を4倍に上げることに成功した。この形状を実現するのは簡単に思えるかもしれないが、この形状は、「小ささ」「耐久性」「量産しやすさ」をクリアするために知恵を絞り、シミュレーションをし、試作とデータ解析を重ねて、やっとたどり着いたものなんだ。
更に、素材を何にするかも重要。例えば、セラミックよりも銅のほうが電極は小さくできるし、チタンにしたほうが「耐久性」はあがる。ただし、「量産」は困難になっていく。
滝川:
そうですよね、量産することを考えると、クリアしなければならない要件はどんどん増えていきますよね。コストにも大きく影響するでしょうし。
山口:
電極の素材は、チタンが間違いなくベストだった。放電しても摩耗せず、もし水が結露していなくても放電に耐える材質・・・それはチタンだった。しかし、問題は加工技術だ。チタンの精密加工は非常にむずかしい。直径が1mm以下のピンを、「こけし」のような放電に理想的な形に、正確に滑らかに加工をしなければならない。
電極開発担当だった僕は、全国のチタン加工業者さんを訪ねて歩いたんだ。そして行きついたのが、福井県・鯖江の眼鏡加工業者さん。チタン微細加工の最高峰の技術が鯖江に集まっていたんだ。片っ端から相談していったが、難しすぎてどこも受けてくれない。やっと1社、やろうと言ってくれる会社が見つかって、試作を繰り返していただき、チタンの電極がついに実現した!今でもその会社が「ナノイー」を支えているんだ。
滝川:
おお。世界に名だたるSABAEの眼鏡の微細加工技術が、「ナノイー」のカギを握っているとは・・・驚きました!
4.「ナノイーX」登場!
滝川:
その後、「ナノイーX」が登場したのは、2016年ですか。OHラジカルの発生量は「ナノイー」の約10倍ということですが、これまでお聞きした電極の素材や形状の改善で、自然と10倍になったのですか?
山口:
いやいや、そう簡単に10倍にはならないよ(笑)。実は、「ナノイーX」の開発は2008年にはスタートしていた。「ナノイー」の応用場所がパーソナルから会議室や電車などのパブリック空間へと広がっていくだろうと予想した。「ナノイー」の効果を大空間でも生み出すためには、OHラジカルの発生量を「一桁」上げなければいけないことは明らかだった。同じサイズで10倍の発生が可能なデバイスの開発を、我々技術者は命じられたんだ。
滝川:
既存の「ナノイー」技術は正常進化させつつ、並行して、性能を一桁向上させた別次元の技術を開発せよ・・・一人の人間が一度に取り組むのは難しい注文に思えます。それに、根本的なブレークスルーが必要だったのでは?
山口:
その通りだね。まず必要だったのが、電極の形状のブレークスルー。
「霧化電極」と「対極板」の形状、角度、距離、面積など、「ナノイー」で完成を見ていたデバイスの仕様を、一旦忘れて、ゼロから検討しなおした。試作品を無数に作り、試していく…ただし、やみくもに作っても時間も予算もロスが多い。そこで、パナソニックの伝統の「品質工学」を応用して、試作数を大幅に減らしたんだ。それでも結果的に100通り以上は試さざるを得なかったんだけど。
その結果、「対極板」の形状を4本針形状にするとよいことが分かってきた。チタンの板を4本針形状に切り抜き、微細な形状の違いによって出てくる結果を、繰り返しシミュレートすることで洗い出し、ベストな形状に追い込んでいった。あと、放電の制御方法も磨いていった。
その結果、エネルギー領域が増大し、それまでの「コロナ放電」から「マルチリーダ放電」に進化した。
こうしたブレークスルーによって、「ナノイー」の10倍、毎秒4兆8000億個のOHラジカルを発生できる「ナノイーX」がついに誕生したんだ。
滝川:
8年かけて、ついに誕生したんですね。
山口:
そう。「ナノイー」と同じサイズの小さなデバイスから、「ナノイー」の10倍のOHラジカルを発生することが可能になった。これで、会議室や電車といった大空間でもOHラジカルを満たすことが出来る。
ただし・・・
滝川:
ただし?
山口:
デバイスの設置方法も非常に重要なんだ。例えば業務用エアコンであれば、どの位置、どの向きにデバイスを設置しどのように風に乗せれば部屋全体に「ナノイー」が行き渡るのか?ここでも最近はシミュレーション技術が大きな役割を担っている。「ナノイー」独自のシミュレーション方法を、様々な関係部署と共同で開発している。
滝川:
我々はデバイス開発チームなのに、そこまでやるのですね。
山口:
デバイスの使い方まで私たちが責任を持たなければ、「ナノイー」のお役立ちを最大化できないからね!
滝川:
そこまでやるのがパナソニックの「ものづくりイズム」なんですね。すごい!
今日は、ものづくりの難しさ、奥深さと、先輩方の熱意に感銘を受けました。私も、「ナノイー」をさらに進化させ、世界の空気を清潔・健康にしていきたいです。