■1932年 懸賞論文の募集
ラジオの重要特許を無償公開した1932(昭和7)年、松下幸之助はもう一つ、真使命の自覚の年に相応しい取り組みに打って出た。新聞等を通じて広く需要家に呼びかけ、「家庭電化に関し、需要者の批判と希望を聞く」と題した懸賞論文を募集したのである。そして、その広告で次のように表明した。「忌憚なき批判ならびに希望を募り、斯界の権威者に依頼してその適切参考になるべきものの選定を乞い、これを一冊子にまとめ、各電気供給業者、電機製作業者ならびに販売業者及び業界関係者に配布し、以て各位要望の声として家庭電化善導普及の指針たらしめんとす」。幸之助は、ここでも松下電器という“私”にとらわれず、日本の電機産業という“公”を見据えたのである。寄せられた論文は614編にのぼり、翌年、当選作・佳作から成る冊子『電気需要者は何を望んでゐるか』が編まれ、公約通り業界の各方面に配布された。