■1936年 ナショナル電球発売に当りて
ラジオ、乾電池・ランプ、配線器具、電熱器。これら主軸の事業が大いなる発展を見せていた1930年代半ば、松下幸之助は相次ぎ新規事業に着手する。1934年には電動機(モーター)、翌年には蓄電池を発売。そして1936年にはナショナル電球株式会社を設立し、電球の発売に踏み切った。しかし、当時の電球市場は、アメリカ・GE社をバックにした「マツダランプ」の独擅場であった。かくあるなか、誕生間もないナショナル電球が、業界のチャンピオンに挑もうというのである。しかも同じ価格で。当然、流通からは手厳しい批判の声が飛んだ。だが幸之助は「辛抱して販売に協力いただきたい。やがて同じ品質の電球をつくる。それは必ず業界全体、社会全体の進歩につながる。ナショナル電球を育てるのはみなさんである」と繰り返し訴え、方針を曲げなかった。「日本人の手で電球製造に成功しなければ、業界は永久に外資に圧倒され続ける」。こうした危機感ゆえの初志貫徹であった。