■1961年 アイデァ日本
世界に挑む気概を示した「実は熟した」から半年後の1961(昭和36)年1月、松下幸之助は正月広告で、今度は国際競争に打ち勝つための日本の産業のあり方を、「アイデァ日本」と題して提言した。曰く、「日本はすでに、欧米から学ぶものは学びつくし、“独創性”によって、世界の産業界をリードするに充分な技術の基礎を築き上げたと思います。現在、日本に不足しているもの、それは、欧米にまさる、すぐれた“アイデァ”です。“いつまでも、欧米製品をまね、後を追いかけている日本であってはならない”。松下電器はいま、これをきびしく反省し、自覚して、社内の各研究所を強化し、欧米と同時にスタートラインに立ったエレクトロニクスの分野において、独自の、すぐれたアイデァによる製品を造るために、懸命の努力を続けています」。日本ならではのアイデァで欧米を凌駕しよう、そして世界の先頭に立とう。こう産業界に呼びかけ、自らもその実践を決意する幸之助であった。