■1969年 松下電器は“繁栄”を輸出します
ふり返るアンデスの乙女、その帽子に浮かぶ“世界”。印象的な図柄のこの広告は、松下電器の輸出額が1,000億円を突破した1969(昭和44)年に放たれた。500億円を突破したのが1966年、つまり3年で倍増したのである。当社は1932年に貿易部を設置して本格的な輸出を開始するが、やがて戦争で中断。再開は1950年代を待たねばならなかった。その後、1959年には戦後初の海外販売会社、アメリカ松下電器が誕生。そして1960年代に入ると、東南アジアやラテンアメリカを中心に現地生産が加速する。これを担う製造会社はミニ松下と呼ばれ、それぞれの国・地域の繁栄への貢献を理念として事業にまい進した。ちょうどその頃、松下幸之助は1967年の経営方針発表会で、「今こそ経営理念を世界で実践しよう」と社員に呼びかけ、「どこの国に行っても松下電器の特徴は、すべて経営の基本方針に由来している。また、どこへ持っていっても誤りないものであることを確信している」と念を押すのであった。