NPO法人「日本エコツーリズムセンター」の組織基盤強化ストーリー
被災地に7ヵ所の拠点、のべ4万5000人が参加
昨年3月11日、東日本大震災が起きたことで、広瀬さんらは、すべての活動をなげうって3月13日、被災地で陸路調査を開始。すぐに、エコセンの世話人たちも動き出した。17日には事務局に50団体以上が集まり、今後の支援について話し合いがもたれた。20日には、宮城県登米市に現地本部を設置。その後、岩手・宮城・福島県内の7ヵ所に活動の拠点となる「ボランティアセンター」を置いた。
比較的支援の手が届きやすい大規模な避難所ではなく、10軒、20軒の世帯が身を寄せている集落を中心に550ヵ所を探し出し、毛布や防寒具、下着、靴下などの物資を支援。活動はさらに、瓦礫の撤去や自力で仮設の風呂に行けない人の温泉送迎、子どもたちの勉強支援やサッカー教室の開催など多岐に及んだ。
「RQ市民災害救援センター」と名づけられたこの組織には、専業のスタッフは置かれず、指示命令系統もなかった。一人が滞在する期間は長くて1週間ほど。それでも宮城県内だけで延べ3万7000人、全国で延べ4万5000人ものボランティアが参加し、発展的に存続していった理由を広瀬さんは「全員による朝と夜のミーティングの成果です。特に夜は1時間半をかけ情報共有を徹底したので、ボランティア一人ひとりが自分の判断で動けるようになった。ルールは極力少なく、すべての提案を受け入れたが、実行する中で周りのフォローによって改善していけた。また、日頃の野外活動で培われたスキルが生かされたことも大きかった」と言う。
20代の10年間、NGOで国際緊急援助の活動をしてきた広瀬さんは、「現地で身を守る手段は“笑顔と挨拶”。今回の活動でもボランティアに、『何か一つ、今日心が温まったエピソードを話してください』と言ったら、効果がありました」と話す。
福島では、被災者の話を聞いて、マスメディアでは報道されない生の声を伝える『フクシマBOOK ――見た、聞いた、歩いた、考えた』をつくった。夏休みには、北海道をはじめ全国12ヵ所で、自然学校の人たちがスキルを生かして、1週間~1ヵ月の期間、福島の子どもたちを受け入れるキャンプもした。
11月で活動はいったん終了し、12月には、現地に住民票を移すことのできるボランティアが中心となって仕事を創出する意欲のある若い被災者たちとタッグを組み、各ボランティアセンターごとに新しい組織を立ち上げた。
「今は災害復興だけに目が行っているが、たとえば現地本部を置いた登米には、薪拾いなどによって手入れの行き届いた雑木林がある。日本の原点のような里山を生かし、街の人が半日だけボランティアをして、あとの2日を地域との交流に費やすプログラムができれば、被災地全体も元気になります」
全国各地で、そして被災地で、広がりつつあるエコツーリズムの可能性。「被災地の活動も含め、助成を受けて始まったアクションを若い世代にも広め、つながりの大切さを共有していきたい」と中垣さんは抱負を語った。