■1932年 ラジオ特許無償公開の謹告
松下幸之助は、ラジオの生産を開始した翌年の1932(昭和7)年、希代の天才発明家とうたわれた安藤博氏からラジオ受信機の製造に関わる重要特許を買い取り、業界に無償で公開した。ここに紹介するのは、それを新聞紙上で公表した謹告である。1932年といえば幸之助が産業人としての真使命を自覚した年。250年をかけて楽土を建設するという大志の下、松下電器の成功のみにとらわれることなく、日本のラジオ事業全体の興隆、発展を期したのである。「独り弊所がこれ(特許)を独占するよりも、ひろく各業者の活用に供する事が、いささか業界進展の為にも相成るべくと存じ、ここに放送用『ラヂオ』受信機の製作を業とする方々に対し無償にて任意御自由に御使用相願う」。このくだりが幸之助の心意気を物語っている。