今ここで、私にできることを。
プロボノで見つけた地元宮城との関わり方

従業員プロボノ参加者 勝又 千鶴さん

プロボノは、ボランティアの一つの形。仕事で培った知識やスキルを、プロボノで還元する。一方で、プロボノが教えてくれたことがたくさんある。勝又千鶴さんは、そう語る。宮城県石巻市を拠点に、東日本大震災の復興支援を行う「3.11メモリアルネットーワーク(旧3.11みらいサポート)」に向けて、事業計画案を提案するプロジェクトに参加した勝又さん。プロボノとの出会いや、自身の変化を聞いた。

人のために、できることを。すぐそばにあった大きな挑戦のフィールド

昔から、人のために何かをやりたい気持ちが常にあったんです。20代の頃には、青年海外協力隊として2年間モロッコに行き、子どもたちにピアノを教えたこともありました。現在は、経営や企画、財務や経理などを行う傍ら、労働組合で社員や社員の家族のためにできることがないかと考える役割も担っています。他にも、植林など小さなボランティア活動に個人的によく参加していて。人のためにできることをやりたい、そんな想いが自分のルーツにはありました。

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勝又 千鶴さん

プロボノと出会った頃も、友人がNPO法人を立ち上げたいと知って何か力になりたいと思っていたタイミングでした。これまで一つの企業でしか働いた経験がなかったため、所属経験がない他の組織は一体どんなものなのかを学びたかったんです。そんな折に届いたのが、パナソニックグループでプロボノに参加しませんか?という募集案内でした。パナソニックグループの他の部署や会社の人たちと関わることができる上、社内メンバーと共に挑戦できる安心感もある。またとないチャンスだと思いました。

さらには、私の地元である宮城県石巻市を拠点とするプロジェクトを見つけて。そのプロジェクトは、東日本大震災後の復興支援を行う団体である「3.11みらいサポート」の方々へ、事業計画を提案するというものでした。復興庁からの予算交付金がなくなった後も震災復興の取り組みを継続できるよう、自分達でお金を生み出し、自走することのできる事業計画を必要としていました。宮城県出身の私自身も東日本大震災を経験していますし、近くに住んでいる身として足を運ぶことで貢献できると感じたんです。せっかく参加するなら、本気になれることやりたい。そんな想いから、参加を決意しました。

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3.11みらいサポート 石巻の風景

プロボノが教えてくれた、仕事のあるべき姿

プロボノが始まってからは、毎週日曜の夜8時に集まってオンラインミーティング。仕事の合間を縫ってでも挑戦したい人たちが集まっていますから、チーム一人一人の意識がとにかく高かったんです。初めこそ「日曜の夜なんて、大河ドラマ見ないんですか…?」と思った瞬間もありましたが、自ら手をあげて挑戦しにきた人たちとの協働は本当に刺激になることが多かったです。

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3.11みらいサポート 現地訪問時の会議風景

自分にとって一番大きな変化は、プロジェクトとの向き合い方。明確なゴールを設け、スケジュールを設定し、一つ一つ着実に積み上げる。プロジェクトがどんどん前に進んでいく。これが仕事のあるべき姿か、と感じました。プロボノの視点から、過去に携わってきた仕事やプロジェクトのことを振り返ってみると、まだまだだったなと思う部分も多くて。

プロボノに参加してからは、会社の仕事との向き合い方も変わりました。具体的には、やるべきことの締め切りをハッキリさせて、ダラダラやらないこと。社内ではプロジェクトリーダーを支える立場なのですが、そんな意識をもってリーダーに声をかけるようになりました。仕事で培ったスキルや知恵をプロボノで活かす一方で、プロボノで学んだプロジェクトの進め方を仕事の参考にする。双方にとって良い影響があったと感じます。

プロジェクトは終わっても、関係は続く。新たな人生の目標との出会い

プロボノに参加してよかったことの一つが、地元である宮城県の石巻市の人たちとのつながりが生まれたこと。私は宮城県に住んでいるので、プロボノ期間中は石巻市に何度も足を運び、現地とチームの橋渡し役になっていました。ある時、みらいサポートの代表の方のことをもっと知るために、直接会いに行ったんです。1時間ほど話す予定が、会話が盛り上がって4時間になって。代表の方がとても熱い想いを持っていたことも、その時初めて肌で感じました。それ以降、何か悩みごとがあったときには私を頼ってくれるようにもなって。仕事やプロボノという枠に関係なく、地元の人たちとの関係性が生まれたことはとても嬉しかったですね。

会社を退職後も、「3.11みらいサポート」を手伝いたいと思っているんです。現地ではとにかく人が足りていない上、やることは山ほどある。たった一人でも営業活動ができる人がいれば、全然違うと思うんです。宮城県出身の身として、プロボノが終わっても関係を持ち続けたいと強く思って。この場所で長く働いているので、地元のコネクションを活かしながら、営業担当として団体をサポートする予定です。思わぬところで、老後の目標が生まれました。

生きたのは対話力。肩書きを問わず自分の力を試せる場所

自分のどんな知識やスキルが活きるかわからないという点も、プロボノの面白さの一つだと思うんです。私は「マーケッター」という役割でプロボノに参加しましたが、意外にも「対話する力」が役立つ場面がたくさんありました。もともと、資料作成やデータ分析などのデスクワークより、人と会って話を聞くことの方が好きだったんです。普段、社内の労働組合に所属して社員の声に耳を傾けているのも、そうした自分自身の特性があったからで。対話する力があったおかげで、支援先の代表や現地で活動されている方々の悩みや課題を聞き出し、遠方のチームメンバーに詳しく伝えることができました。

一方で、私にはできない様々なスキルを持った人たちがチームには集まっていました。ホームページの分析ができる人、収支計算に長けている人。異なるスキルを持つ人が協力することで、一人では到底作れないような事業計画書が最後には出来上がったんです。どんなプロジェクトであろうと、自分の経験を活かしてできることが必ずあります。「私なんて・・・」と謙遜することは全くない。そう感じました。

プロボノは、自分の力を会社以外の場所で試すことができる絶好の機会です。コロナ禍以降はオンラインで会議を行うことも増えたので、居住地に関係なくプロボノに参加できるようになりました。どこまでやれるのか、自分の力を試してみたい人にはぜひプロボノをおすすめしたいです。

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3.11みらいサポートのみなさんと

「人のためにできることをやりたい」、そんな思いからプロボノへの参加を決めた勝又さん。プロボノの経験がくれたものは、仕事やプロジェクトにとって大切な気付きだけでなく、人生をかけて大切にしたいと思えるような仲間との出会いだった。