2-1. 事業観の芽生
大正7年、松下幸之助は「松下電気器具製作所」を創業した。2階建ての借家の階下3室を改造した作業場に小型のプレス機2台、人手は自分を含めて家族3人。このささやかな体制を出発点に、幸之助は「アタッチメントプラグ」「二灯用差し込みプラグ」をはじめとして、便利で安い配線器具を次々と生み出していった。一方で持ち前の商才も発揮。日本経済全体が第1次世界大戦による好景気の反動で停滞していたこの時期に、関東方面へ販路を伸ばしていった。
創業からわずか4年余り、幸之助は50名の従業員を擁し、全国に販売される十数種類もの製品を生み出す中堅企業の所主となっていた。そして、事業が一応の成功を見せ始めた頃、自分の事業のあり方について、目先の商売、損得という枠を超えて探く、広い視野で考えるようになってきていた。