5-1. 戦後再建への道
昭和20年8月15日、幸之助は松下電器の幹部たちとともに終戦を告げるラジオ放送を聞いた。虚脱感に包まれた社員たちをとにかく家に帰した幸之助は、自分自身も力が抜けていくのを感じていた。しかし、今後のことは、自分で考えなければいけない。「無条件降伏は残念だ。でも、終わった以上は今後のことを考えねばならない」。幸之助は2万の従業員と60の工場のことを思い、生かす道を探った。ことに社員たちの動揺は計り知れない。眠れぬ一夜が過ぎ一つの結論が出た。「生産こそ復興の基盤、今こそ松下電器は民需生産の先陣を切り、物資欠乏をなくし、失業をなくす産業人の使命を果たしていこう」----。気持ちを固めた幸之助は、翌16日、経営幹部を本社講堂に集め、決意を述べた。日本人の誰もが先行きの不安を感じていたとき、すでに松下電器には進むべき道が示されていたのである。