5-2. 財閥指定

9月にはGHQから生産中止命令が出るなど、再出発に当たって困難はあったが、その命令も10月にはすべて解け、全事業場で生産が再開された。しかし、すぐ大きな壁が立ちはだかった。GHQによって「松下は財閥」と判定され、松下電器が「制限会社」に、松下家が「財閥家族」に指定されたのである。

社史から見ても、規模から見ても、業容から見ても、財界での位置から見ても、どこから見ても松下は「財閥」ではない。GHQは間違っている。間違いはただすべきだ----。こう考えた幸之助は自ら東京のGHQ本部・財閥課に何度も足を運んだ。

「松下は財閥やない。この資料を見てください」「マツシタさん、また来ましたか。何度来たってだめですよ」「いいや。間違いがただされるまで、わしは何度でも足を運ばしてもらいます」

間違いは間違い----。指定を受けたほかの会社の社長が次々と辞任する中、幸之助は頑としてやめなかった。粘り強い説明が功を奏したのか、GHQは昭和24年に松下家への「財閥家族」指定を、昭和25年に松下電器への「制限会社」指定を解除した。その間、4年の歳月が流れ、幸之助自身がGHQを訪れた回数は50回を数えていた。