4-4. 門真移転

昭和8年7月、ついに、門真に本店工場が完成した。念願の店員養成所も同じ敷地内につくられ、近日開校の見通しであった。広大な敷地に立ち並んだ立派な工場群に所員たちは大喜びであったが、移転を期して朝会の壇上に立った幸之助の言葉は意外なものだった。

「松下電器は、いま躍進と崩壊の分岐点に立っている。本所将来の発展、衰亡は、諸君の双肩にあることを考え、一事一物にも“最慎”の注意を怠らないよう、この際特に一言しておく」

華やかさに幻惑され、浮ついた気持ちから経費がかさみ、生産原価も上がる----。社内に安易感が生まれ、放漫の気風が生じて衰亡への道につながる危険を幸之助は見抜いていた。さし当たっての緊急方針として、半年間の徹底的な経費節減の断行を命じた幸之助の気持ちは所員一人ひとりに伝わり、皆が気を引き締めた。

松下電器製作所は、さらなる躍進に見合った器と組織と人、そして気風を門真の地で手にした。