8. 煙草の買いおき 1906年(明治39年)

幸之助が店で自転車の修繕をしていると、お客に「ちょっと煙草を買うてきてんか」と言われることが、日に何回かあった。彼はそのたびに、汚れた手を洗い、1町先の煙草屋まで駆け出した。そんなことを何度も続けていたが、手数がかかって仕方がない。

彼は、そのうちにふっと思いついて、自分の給金で20個ずつ買っておき、その場ですぐ渡せるようにした。

当時、よく売れたのは、朝日と敷島であったが、これらは20個が1ケースになっていて、それだけ買うと1個のおまけがついた。月に50個も60個も売れたから、かなりの利益が出た。多いときで、そのもうけが給金の4分の1に達する月もあって、お客からは「賢い子どもやな」とほめられた。

ところが、半年ほどして、仲間に不満が出て、ある日主人から呼ばれた。「おまえ、もうやめとけ。皆があれこれ言うんで、わしもつらいんや」と主人に忠告され、彼は即日やめることにした。それからまた煙草を買いに走ることになった。