47. ラジオの生産販売を開始 1931年(昭和6年)
大正14年に開始されたラジオ放送は、不況期にもかかわらず急速に普及し始め、所有世帯は昭和5年に早くも70万に及んでいた。しかし、当時のラジオは鉱石式や電池式から交流電源方式に切り換えられたばかりで、機能的に完全なものが少なく、聴取者は故障に悩まされていた。
所主もたまたま聞きたい放送がラジオの故障で聞けなかったことに憤りを感じ、「故障の起こらないラジオ」をつくろうと決意した。
昭和5年8月、あるラジオメーカーと提携して、子会社・国道電機を設立し、ラジオの生産販売を開始した。ところが、故障返品の続出である。ラジオの専門店でしか扱えない製品なのである。所主は「専門店だけでなく、広く一般の電器店が扱えるラジオをつくってこそ意味がある」と考え、昭和6年3月、思い切って国道電機を松下の直営にし、研究部の中尾哲二郎氏に改めて故障の起こらないラジオをつくるように指示した。
苦心の末、3ヵ月後に3球式ラジオが完成した。折しも募集中の東京放送局のラジオセットコンクールに応募したところ、これが1等に当選、松下は一躍ラジオ業界にその名を知られるに至った。