140. 飛鳥保存財団理事長に就任 1971年(昭和46年)

当時、会長は、知人の御井敬三氏から、「日本人の心のふるさと、飛鳥が開発の波に押されて、今や風前の灯になっている。今手を打たないと、日本人は後世に悔いを残す」と訴えられた。同氏は、目は見えないながら、絶えず飛鳥を訪れ、その風土を愛した人だけに、その訴えは切々たるものがあった。

会長はその純粋さに感動し、この訴えを録音し、ある会合で当時の首相佐藤栄作氏に聞いてもらった。

これが契機になり、首相や政府閣僚が次々と飛鳥を訪れた。この間に「日本人の心のふるさと、飛鳥古京を守れ」との世論も高まり、12月、政府は閣議で「飛鳥保存対策」を決めた。

その後、官民一体の協力によって、昭和46年4月、財団法人飛鳥保存財団が発足し、会長はその理事長に選任された。財団の発足により、飛鳥総合案内所、研修宿泊所、国際の家などが次々と建設され、飛鳥保存対策は急速に前進した。

昭和47年3月には、高松塚古墳の調査中に極彩色の壁画が発見され、飛鳥は一躍脚光を浴びた。その後、この古墳は特別史跡に、壁画は国宝に指定された。この壁画についても、高松塚壁画館を設置するなど、財団を中心として保存対策が秩序よく進められ、飛鳥は「心のふるさと」として人々に親しまれる土地となった。