Atlanta 1996

オリンピック大会の舞台裏

オリンピック大会の舞台裏 IBCの「デジタル放送システム」の
構築という大役を担った。

写真:アトランタオリンピック開会式セレモニーで、競技場中央のフィールドに描かれた五輪マークと数字の100の人文字

近代オリンピック100周年を記念するアトランタ大会で、パナソニックはアストロビジョンなどの映像・音響機器のサプライヤー(製品を供給する業者)として大会を支援した。さらにパナソニックに課せられたのは、日本企業としては初の、放送システムの元請けという未知の大仕事だった。「世界最大の放送局」と呼ばれるIBC(国際放送センター)の設計から構築、メンテナンスまでをすべて担当しなければならないのだ。パナソニックのスタッフは、あらゆる事態でも高画質の映像を送ることが可能なシステム設計や現地で調達可能な機材選定をおこなうため、大会の2年前からアトランタで議論を重ねていた。

オリンピック国際映像制作最大の山場「開会式」

オリンピックでの実績が豊富なパナソニックのスタッフにとっても、今回のアトランタはチャレンジの連続だった。様々な交渉を重ね、提案を実現化していくうちに、パナソニックと現地放送スタッフとの関係も深まっていった。次第に、パナソニックのスタッフは、彼らから同じような話を聞くようになる。それは「オリンピックは、開会式を無事に終えられるかどうかがすべて」ということだ。

写真:開会前のアトランタオリンピック会場での設備工事の様子

期間中、競技は毎日どこかでおこなわれている。万一ある競技の中継が途切れても、現場ではテープを収録してバックアップをかけているし、別の競技への差し替えもきく。しかし、大会の最初に放送される開会式は、その瞬間に、その場所だけでしかおこなわれていないからだ。開会式当日、オリンピックスタジアムの巨大なアストロビジョンが記念すべき大会の始まりを鮮明に映し出す。スタジアムに集まった8万3千人の大観衆、さらには世界214の国と地域でテレビを前にする多くの人々が見守る中、やがてイベントはクライマックスを迎えた。

写真:開会前のアトランタオリンピック会場の設備工事で作業員が多数のケーブルを設置している様子

オリンピック100周年にふさわしい演出

薄明かりの中、9,100人の人々がボードを掲げた白いスクリーンがスタジアムに浮かび上がる。そこに映し出されたのは、アトランタが生んだある黒人指導者による、リンカーン記念堂でのスピーチだった。彼の声は静かに、しかし明瞭に響き渡り、アメリカの歴史上もっとも有名なメッセージが場内に繰り返された。“I have a dream(私には夢がある)”人類の未来に向けたこのメッセージは、100周年の区切りを飾るオリンピックにふさわしく、また、大会に向けて様々なチャレンジを続けてきたパナソニックのスタッフの想いを表す言葉でもあった。

写真:開会前のアトランタオリンピック会場のスタジアムを関係者が視察している様子