10. 市電を見て電気事業にあこがれる 1910年(明治43年)

大阪の市電が運転を開始したのは、明治36年9月のことである。明治41年には中央部に線路の敷設が始まり、翌42年には天王寺公園で全市開通の祝賀式が催された。

幸之助は、使いの途中に電車を見て新時代の到来を予感し、電気事業に関心をもつようになった。反面、自転車の将来に不安の念もわき、ついに転業しようと決心した。しかし、長い間かわいがっていただいた店への愛着もあり、彼は悩んだ。結局、義兄に打ち明けて賛成してもらい、大阪電灯への入社の交渉を依頼した。

ところが、主人に暇をもらおうと思うが、どうしても言い出せない。主人の顔が、夫人の顔があれこれ浮かび、1日1日と過ぎていった。彼は子ども心に考えて、ある日、「ハハビョウキ」の電報を打ってもらった。そして、心でわびながら、着替え1枚を持って主家を出て、のちにおわびと暇をもらいたい旨の手紙を出した。

大阪電灯入社後、主家が懐かしくなり、休日ごとに手伝いに行った。半年ほどして、主人に「帰りたかったら帰っておいで」と言われた。帰りたいからではなく、ただ懐かしさのために手伝いに行っていた彼は、これではいけないと思い、行くのを中止した。そして、「自分が選んだ道を精いっぱい歩もう」と決心した。