22. 苦心のソケットは売れず 1917年(大正6年)

苦心の末に、ソケットが完成し、一同の意気はあがった。さっそく同僚の1人が見本を持って販売に回ることにした。だが、同僚は夕方遅く浮かぬ顔をして帰って来た。聞けば、どこの店に行ってもソケットを手に取って見てはくれても、売れる見込みがないとの答えが返ってきたというのである。

それから10日間ほど、大阪中を駆けずり回ったが、ようやく100個ほど売れて、10円足らずの売り上げを得ただけである。資金もなくなり、明日の生計さえおぼつかないほどの困窮に陥った。このまま仕事を続けていくことは困難になり、ついに同僚2人は辞めていった。

当時、夫人がたびたび通った質屋の通帳が今も残っている。幸之助が風呂に行くのに、風呂銭がないので、夫人は話題をそらし、風呂のことを忘れさせたという逸話もある。

そんな状況にもかかわらず、彼はそれほど深刻にも思わず、またほかの仕事をやることなど夢にも考えず、ソケットの改良に熱中していた。