23. 扇風機の碍盤を受注 1917年(大正6年)
窮状の続くうちに、年の瀬も迫り、ある日、思いがけず扇風機の碍盤1,000枚の注文を受けた。川北電気で陶器製の碍盤がこわれやすいので、煉物製にする計画があり、見本注文が持ち込まれたのである。年内完納という急ぎの仕事だが、結果が良ければ、全部の扇風機に応用するという。
行き詰まりの最中であり、幸之助は井植少年と2人で全力を上げて製作することにした。設備がそろっているわけではなし、わずかに型押しのポンスと煉物を煮る鍋があるだけだ。井植少年はまだ満14歳で、当時は小柄な体格だったから、型押しはすべて幸之助がやった。井植少年は磨きとか雑用などの手伝いである。
とにかく1,000枚の品物を仕上げ、完納したのは年末も押し迫ってからであった。ところが、これが160円の金になった。原価を引いても、80円の利益が出た。苦しいときだけに、一家の喜びは大きかった。この碍盤のできが良いということで、年明けに、川北電気からさらに2,000枚の注文が入った。肝心のソケットは売れなかったが、辛抱のかいがあって、意外な方向から運が開けたことに感動もし、改めて電気器具の製作に本格的に取り組もうと決心した。