25. M矢の商標を制定 1920年(大正9年)
アタッチメントプラグ、2灯用差込みプラグの成功により、商売もまず順調に推移し、大正7年の暮れには、早くも従業員20名余りになった。それでも手狭な普通の家で作業をしていたのだから、不思議である。
当時は、作業場に棚をつり、棚上、棚下でも作業ができるようにした。得意先の人が来て、「えらい工夫をしているなあ。まるで蒸気船の船室みたいや。なるほど安くできるのも当たり前やなあ」と感心して帰ったこともあった。実は、まだ工場を建てるほどの資力もないので、少しでも効率的に家を使いたいと考えた末の便法であった。
そうした中で、所主は松下電器の商標を定めたいと考えていた。ある日、石清水八幡宮に参詣したときにもらった破魔矢を見ていて、ふと、この矢と松下の頭文字Mを組み合わせたらどうだろうと思いついた。こうして完成したのが、初めての商標「M矢のマーク」である。これにはどんな障害をも突破し、目標に向かって突き進もうとの願いが込められていた。