24. 松下電気器具製作所を創立 1918年(大正7年)

その後も扇風機の碍盤の注文が引き続いてあったのと、電気器具の考案製作を本格的にやりたいとの思いから、大正7年3月7日、幸之助は大阪市北区(現在は福島区)大開町1丁目に借家を求めて移転し、松下電気器具製作所を創立した。

その家は、1階3間、2階2間の2階建てで、別に6坪ほどの前栽があったので、前の家に比べると、広さも約3倍ほどになり、また表通りに面していたので、小さいながらも町工場の体裁が整った。彼はさっそく1階の床を落として、作業場にし、2階を住居にした。

碍盤のほかに、最初につくった電気器具は「アタッチメントプラグ」、通称「アタチン」で、古電球の口金を利用したものであるが、斬新で市価よりも3割ほど安かったから、よく売れた。幸之助夫妻と井植少年の3人が、夜中まで作業しても追いつかず、初めて4、5人の人を雇い入れた。続いて考案した「2灯用差込みプラグ」とともに、松下電器は、新しい物を安くつくると評判になり、幸先の良いスタートを切った。