51. 重要特許を買収し一般に公開 1932年(昭和7年)
昭和6年に、東京放送局のラジオセットコンクールで1等に当選した3球式ラジオは、新型のキャビネットに組み込んで発売されることになった。ところが、当時は競争の激化で、ダンピングが横行し、ラジオの価格は25円から30円と不当に乱売されていた。
所主は、適正利潤を確保するのが事業の正しいあり方であるとの信念から45円で売り出した。各代理店から、高すぎるとの声が出たが、所主は「適正な価格で販売してこそ、メーカーと代理店の共存共栄、業界の真の発展がある」と訴え、多くの代理店の賛同を得た。
たまたま、この時期、ラジオの重要部分の特許をある発明家が所有し、高周波回路で多極管を使用するラジオは、この特許に抵触するために、ラジオの設計の上で大きな障害となっていた。所主はこの事態を憂慮し、昭和7年10月、この特許を買収し、同業メーカーが自由に使えるように、無償で公開した。これは、業界全体の発展に大きな貢献を果たしたとして評判になった。