52. 新春を迎えて 1933年(昭和8年)

仕事に没頭することが多く、一家団欒(だんらん)のときをもつことの少ない所主も、新春はできるだけ家族と一緒に過ごした。毎年、晴着姿で長女・幸子と写真をとるのも新年の楽しみとなり、この年も2人むつまじく、カメラの前に立った。もし長男・幸一が生きておれば、満7歳の元気な男の子になっていたろうにと心はうずいた。

長男は生後半年余りたった昭和2年2月、病気で急逝した。三越の赤ん坊審査会で最優良児として表彰されるほど丸々と太った立派な男の子だったことを、一抹の寂しさとともに、時々思い出した。

長女は唯一の子どもとして、夫妻の愛情を一身に受けてすくすくと育ち、この時、満12歳。後年、平田家との養子縁組が整い、昭和15年4月22日、華燭の典を挙げた。松下正治会長夫人である。

所主は、この時、満38歳。前年、松下電器の真使命を闡明した所主の胸中には、経営革新への思いがみなぎり、意気盛んな中に迎えた、昭和8年の新春であった。